Restaurant name |
Hourai kan(Hourai kan)
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Categories | Traditional Café |
Phone number (for reservation and inquiry) |
0979-22-0538 |
Reservation Availability |
Reservations available |
Address |
大分県中津市三ノ丁1280 |
Transportation |
876 meters from Nakatsu. |
Opening hours |
Business hours and holidays are subject to change, so please check with the restaurant before visiting. |
Budget(Aggregate of reviews) |
~¥999
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Method of payment |
Credit Cards Accepted (AMEX) |
Non-smoking/smoking |
− |
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Parking lot |
not allowed 近くに市の管理してる無料の駐車場があります。中津城に駐車するとお店がわかりやすいです。 |
Space/facilities |
Comfortable space,Wide seat,Tatami seats |
Occasion |
This occasion is recommended by many people. |
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Location |
Secluded restaurant |
Website | |
Remarks |
明治15年に建築された劇場 |
秋の乗り放題パス…での旅
(2014年10/10~10/12)
広島~下関~小倉~行橋~中津~柳ヶ浦~別府~東別府…別府~大分(泊)
中津城・黒田官兵衛資料館など、今回は官兵衛がらみの史跡にしぼって中津をまわった。
黒田官兵衛資料館は、2014年1月に開館したばかりらしいが、中津城に入城しなくても単独で見学出来、しかも無料だったので、大変ありがたかった。
コスト的にもそうだが、中津城に入城すると、それだけ時間がとられるので、今回は特に、時間の節約という意味で助かったのだ。
→中津城はまたいつか、別途訪問する機会があるだろうからね。
城井神社および扇城神社の参拝と、黒田官兵衛資料館見学の後は、喫茶店で休憩した。
2014年10月11日訪問
入ったのは蓬莱観である。
この店の存在は、知らなかった。
見るからに歴史を感じる庭園と建物である。
こちらは昔、劇場だったらしい。
→どう見ても劇場には見えず、とても意外だった。
ギャラリーと書かれた看板には、かなり敷居が高い、ただならぬ雰囲気が感じられる。
入館料などの別途料金がかかるのであれば、仕方がない(苦笑)と思いながら、入って休憩する事にした。
結果的には、こちらに立ち寄ったのは、大正解だった。
文字通り「庭園を眺めながら」喫茶が楽しめる店…というか、雰囲気抜群の建物なので、店という感じはしないんだけどね。
ここは、入館料などの別途料金は不要で、注文したものの料金で休憩が楽しめる、良心的な店だった。
角の席が良かったのだが、先客があったため、カウンター席に着く。
こちらのカウンター席は木製で、イスも木の長イスに座布団が敷かれた席である。
座敷もあるが、座敷だと庭園が眺められないので、こちらの場合は、カウンター席の方がおすすめだ。
コーヒー・550円を注文したが、個包装された丸いチョコレートが2枚ついていた。
1枚は普通ので、もう1枚はホワイトチョコレート。
庭園の池は枯れていたし、紅葉にはまだ早い。
その意味では中途半端な時期に利用したのは残念だったが、春は桜が見事らしい。
完全なる和風の建物なのに、BGMはサザンオールスターズの曲などが、ピアノ演奏で流されていた。
コーヒーはごく普通のものだった(と思う)が、この雰囲気の中で飲むと、味も引き立つように感じられた。
ここに入れて良かったし、おすすめである。
おいしかった、ごちそうさま。
【城井神社と扇城神社】
「地方には、敗者の歴史が埋もれている」…戦国末期の豊前国には、このフレーズがピタリとあてはまる。
豊前国は、鎌倉時代に地頭職として赴任した宇都宮氏の末裔が支配していた。
豊臣秀吉から黒田官兵衛が、豊前6郡を与えられて入国を果たした時の宇都宮家の当主は、宇都宮鎮房。
所領安堵という約束で従ったにもかかわらず、伊予国への移封を命じられた鎮房は、この命令を拒否。
官兵衛との対立を余儀なくされた。
2014年大河ドラマでも描かれたが、鎮房(村田雄浩)は、中津城内で、長政(松坂桃李)の手によって謀殺されてしまう。
鎮房の死後、中津城に鎮房の亡霊が出没し、長政はその亡霊に恐れおののいたと伝わる。
一方官兵衛は、勇将であった鎮房を謀略で殺害したことを悔い、中津城内に城井大明神を創建し、その霊を祀っている。
江戸時代に入ると、当時の城主・小笠原長円の時(1705年)、城井大権現として祭り、これを崇めた。
現在は城井神社と称されるが、いずれにしても、宇都宮鎮房を祀る神社である。
対して扇城神社は、城井神社の末社として1920(大正9)年に創建された新しい神社で、宇都宮鎮房の家臣45人を祀っている。
※参考:www.city-nakatsu.jp > TOP > 組織 > 軍師官兵衛推進室5.城井神社・扇城神社 | 中津市