Restaurant name |
Ikegami Hommonji Oyasumi Dokoro
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Categories | Sweets、Soba、Udon |
Phone number (for reservation and inquiry) |
03-6410-3139 |
Reservation Availability | |
Address |
東京都大田区池上1-1-1 |
Transportation |
東急池上線「池上駅」下車徒歩10分 824 meters from Ikegami. |
Opening hours |
Business hours and holidays are subject to change, so please check with the restaurant before visiting. |
Budget(Aggregate of reviews) |
¥1,000~¥1,999
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Method of payment |
Credit Cards Not Accepted Electronic money Not Accepted QR code payment Not Accepted |
Number of seats |
56 Seats ( テーブル席 4×6+5×4=44 テラス席4×2+2×2=12) |
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Private dining rooms |
not allowed |
Private use |
not allowed |
Non-smoking/smoking |
No smoking at all tables |
Parking lot |
OK |
Space/facilities |
Wide seat |
Drink |
Japanese sake (Nihonshu),Japanese spirits (Shochu) |
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Occasion |
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Service |
Pet friendly (Good for pets) |
With children |
Baby strollers accepted |
Website | |
Remarks |
テラス席は、ペット可 |
西馬込駅を出た一行、一路池上本門寺へ。
おー、山の上なんだ(*_*)
ゼェゼェと喘ぎながら坂を登りきると、ほっほう、
本堂でけぇなぁ( ̄ー ̄)ニヤリ
ここは日蓮上人入滅の地、いわば聖地。
うむ、休もう。
一行は吸い込まれるようにこちらへ。
15:05訪店。
閉店間際でしたが笑顔で迎えていただきました。
「かき氷 いちご(400円)」をオーダー。
しばし、ぐでぇ・・・・・っとしていたら、
かき氷竣工。
ほう、氷がふわふわしている様に見えますな。
ではでは。
あらあら、ちゃんとしたかき氷だ!
いちごはシロップに特別な何かは感じませんが、火照った身体が鎮まっていくぅ・・・
・・・で、ガッついて頭がキーンとするのはお約束のろムーヴ(^_^;)
時折頭を抱えつつ完食。
正直なところ期待は薄かったのですが(すいません)、良い意味で期待を裏切ってくれましたね。
観光地価格でもなくお手頃な価格でボリュームあり。
むしろCPは高いと言えるかもしれません。
接客は若干心もとないところもありつつ優しい印象。
因みに店内は禁煙ですがテラス席は喫煙可。
犬を連れた方がテラス席にいらしたのでペット同伴可かもしれません(未確認)。
この後、
国重文の五重塔を眺めつつ、河井的この日のメイン・・・・
・・・が、見つからない、見つからない・・・・・・
額に汗を滲ませつつ墓地を彷徨い歩きます・・・
おおよその位置はつかんでいるのだが・・・
っああ!見つけたあああヽ(´▽`)/
河上彦斎の墓・・・
熊本県人合葬碑の傍ら・・・・
河上彦斎先生碑に隠れるように建っていました。
彼を端的に語れば、
るろうに剣心の主人公、緋村剣心のモデルとなった「幕末四大人斬り」の1人。
銀魂にも彼をモデルとしたキャラがいますな。
熊本藩出身。
茶坊主から幹部に推された才人で文武両道、
のち高杉晋作、桂小五郎、久坂玄瑞、三条実美らと交友を深め、禁門の変や長州征伐では長州側に参加。
奇兵隊でも重きを成した人物、
なのですが、
どうしても「佐久間象山を斬った男」というイメージが強いですな(^_^;)
第二次長州征伐の時は奇兵隊に属して活躍していましたが、
出身である熊本藩が敵方として闘っている事に責任を感じ、
桂の制止を振り切って説得に向かいますが案の定捕まり、1年もの間獄に入れられて・・・
その1年こそが、激動の1年。
大政奉還、王政復古の大号令、鳥羽伏見の戦い・・・
その間活躍の場を与えられなかった事、
そして国論が攘夷から開国へと真逆へ転換した時代の流れを肌で感じられなかった事は、
その後の彼の人生を決定付けてしまいました。
ようやく時代錯誤だった事にに気付いた熊本藩によって玉手箱を開けられると、既に日本は開国へと舵を切っていたのであります。
その中で声高に攘夷を唱え続ける彼は、もはや政府にとっては危険な存在でしかなく・・・
明治4年、要人暗殺の嫌疑をかけられて処刑されました。
享年38歳。
当初は「逆賊」扱いでしたから墓石には本名は刻まれていません、
正面に法名、右側面に「通称 高田源兵衛」と刻まれております。
タイトルは彼が処刑される直前、面会に訪れた知人に語ったとされる言葉より。
曰く、
「我らの同志に伝えて欲しい。
鍋の弦は曲げてこそものの役に立つのだと。
しかし、この彦斎は好んで鍋の弦をまっすぐにして用いたため今日の禍いとなってしまった。」
しかし、彼の同志は後に神風連の乱を起こし、悲劇的な結末を迎えてしまうのです。
つづく。