Restaurant name |
Pokkuru Tei
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Categories | Izakaya (Tavern) |
Phone number (for reservation and inquiry) |
03-5389-9600 |
Reservation availability |
Reservations available |
Address |
東京都中野区東中野1-5-10 宮園マンション 1F |
Transportation |
JR東中野駅東口より徒歩7分 608 meters from Nakano Sakaue. |
Opening hours | |
Average price |
~¥999 |
Average price(Based on reviews) |
~¥999
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Method of payment |
QR code payment Accepted (PayPay) |
Private rooms |
Unavailable |
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Non-smoking/smoking |
No smoking at all tables |
Parking |
Unavailable |
Space/facilities |
Counter seating,Tatami seats |
Drink |
Sake (Nihonshu),Shochu (Japanese spirits),Wine |
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Food |
Particular about vegetable,Particular about fish |
Occasion |
This occasion is recommended by many people. |
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Website | |
The opening day |
2013.5.7 |
Restaurant highlights |
庶民派必見!圧巻の定食
飲んで良し、食べて良し、旨いつまみのぽっくる亭。 |
「ごちそうさまでした。たいへん美味しくいただきました。」
と、コトバにして、お店を出られる時、何だか、スゴく幸せなんだな。
僕は「脱グルメ考」として、現在投稿を続けている。
その「脱グルメ」の「グルメ」とは、いわゆる、ムダに高いだけのモノや、味が濃いだけで品の無いようなモノや、巨匠や有名調理人の弟子だとか本店直流だとかの肩書きやブランドだけのモノや、マスコミで必要以上に騒ぐモノや、ほんの一時の流行のようなモノや、見た目や食感重視の立場のような、本道を外したモノなどを指してそう言っているつもりである。
決して、美味しいものを放棄しているわけではない。
また、当然、全食、ソレに則っているわけでもない。
あくまでも、基本路線である。
そもそも、僕らが子供の頃に「グルメ」などというコトバ自体、日本では浸透していなかった。
どうも、そのコトバを頻繁に使うようになってから、この国の食は全体的に品格を落としていったような気もする。
真の職人や、料理人も少なくなってきた。
「食の傾向」「時代の流れ」のような食べモノは、確かに存在すると思う。
でも、方や、昔からずっと支持されている食べモノも存在する。
歴史があるモノがすべてイイというつもりもない。
しかし、淘汰され、消え去っていくという事実もある。
ジャンク(というコトバもずいぶん後発であるが)なモノでも、長年支持されているモノもある。
ちょうど僕らの世代は、そういう過渡期であったのかも知れない。
小学生の頃にサッポロ一番塩ラーメンが、日清カップヌードルが発売された。ボンカレーやククレカレーやバーモントカレーなども、その前後だったろう。
またスナック菓子では、かっぱえびせん、カール、サッポロポテト、プリッツ、ハッピーターンなど約半世紀を越える人気の商品も生まれた。
伝統とジャンクの狭間で、育ってきたような気もする。
僕は、最近のいわゆるグルメの傾向として、単に高価な食材や希少な食材に必要以上の付加価値を見出すコトに嫌気がさしている。
また、前述したが、肩書きや頭で食べる人が増えてきたコトも同様に馴染まない。
さらに、何でもカタめとか、サクサクとか、カリカリとか、確かに食感も重要な要素だろうが、味を超える評価を食感に見出す人々を理解できないでいる。
そして、コレが一番大きいのだが、味の濃淡と、濃い薄いをはき違えている人が多いような気がする。
濃い薄いの尺度は、各人の主観であり好みなので、ソコに何ら意見は無い。しかし、薄さと淡さの区別がつかない人々には、落胆するのである。
食で言うトコロの「淡い」とは、単に濃度の問題ではない。
と、ココまで書いてきたが、この店の僕が食べた料理すべてに、淡くて品を感じたのである。
で、冒頭のコトバに続くのである。
中野区東中野1丁目、大久保通りをちょっと入ったトコロである。
駅で言えば、JRの東中野とメトロの中野坂上の中間あたりの場所だが、池袋からだと、乗換えとか待ち時間を考えると、新大久保から15分程度歩けば行ける場所で、ソレが一番早かったりする。
かつて、近くの「生駒軒」をアップしたが、あまり飲食店が多くない場所でもある。
昼時、外に待ちができていたが、こういう場所ではアテにならない。
そう思って通り過ぎるつもりだったが、その行列の人の人種に目がいき、僕もその行列の人となったのである。
人種、と僕が言うのは、いわゆる人種ではない。
見た目から醸し出される雰囲気のようなモノである。
コトバは悪いが、ブランド物を身につけてちゃらちゃらした感じの人や、ガキんちょのようなヤカラや、オタクっぽい感じの人や、年配者でも厚化粧のような服装の人の行列には興味が無いのである。
逆に、質素な服でも、着こなしに品があったり、いかにも近所の人ですという感じの程よいラフさとか、同じ若者でも、週に何度もきている様な、堂々と列を成す人を見かけたときに、本物の行列店を感じるのである。
何だか、今回、特に能書きが長くなった。
お店は、カウンターとテーブル席が少々。
居酒屋なのだろうが、適度にシンプルで、ちょっとお洒落な居酒屋のような感じもする。
大将と女将さんだろうか?2人体制であった。
「チキン南蛮定食」(1,000円)+「アイスコーヒー」(150円) ―― 写真のとおりである。
アイスコーヒーを最初にいただき、涼を得た。
到着してまず最初に驚くのは、そのタルタル系のソースの量の多さである。
チキンは、一枚モノのカットで無く、から揚げ状に、いくつかに分かれているタイプ。
ウマい。ソースが多すぎて、口に入れた瞬間は、ほぼソース味になるのだが、そのソースが何とも美味である。
押し売り的なソースでは無い。また、濃厚ガッツリ系では無い。
ほぼソース味と書いたが、見た目以上に淡く品がある。
クリームサワー系のタルタルソースのような雰囲気。
そのソース味を楽しんで噛みしめていると、徐々に鶏モモ肉のウマさが出てくる。
上品で丁寧な味わいのチキン南蛮である。
遡って、みそ汁を最初にひとすすりした。
ウマいみそ汁の店にハズレは無いと思っている。
その汁も、無駄に味噌を濃くしたり、ダシ感を前面に押し付けたりしていない。
奥ゆかしく、品がある。
そして、定食のみそ汁として、絶妙な淡さである。
みそ汁を、完成されたみそ汁として作っていない。
キチンと、居場所をわきまえたみそ汁である。
何、具材にも特別なモノなど入っていない。
豆腐とモヤシだけである。
小鉢2品。
切り干し大根の煮物と、玉子と青菜の炒め物である。
味わいの方向性は、みそ汁と全く同じコトが言える。
京都では、最近、おばんざいを前面に出す嫌らしい店が増えたが、そういう感じのモノでもある。
店では大皿かも知れないが、本来は、小鉢におさまるべきモノである。
漬物の代わりに近い感覚の味わい。
切り干し大根は、淡く、白菜などの漬物を思い出す。
炒め物は、柴漬けのように、塩分のバランスをとったモノである。
玉子の色合いよりも、味を優先させている感じも潔い。
きっと、僕が、こうして偉そうに分析するべき大将の腕ではない。
素晴らしい料理の数々だった。
甚だ失礼だが、食べログ書き人として、述べさせていただいた。
大満足。
ごちそうさまでした。
僕も、ガキだった頃や、鼻息荒き若造だった頃に、理解できなかった食がきっと多くあったと思う。
今は、およそ何らかの感想は、冷静に抱けるようになった。
年齢差も、地域差もある。
今まで、諸先輩方の、声に素直に耳を傾けただろうか?
いくつになっても、人それぞれの好みはある。主観は自由だ。
しかし、方や、動かしがたい事実・真実も存在する。
ソレを、主観で歪めたりしていなかっただろうか?
猛省する。
(文責:京夏終空、2019.7.24)
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