점포명 |
B O G E Y(B O G E Y)
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종류 | 찻집 |
03-3945-6720 |
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예약 가능 여부 |
예약 불가 |
주소 |
東京都豊島区南大塚2-36-1 都営南大塚二丁目アパート1号棟 1F |
교통수단 |
오쓰카에키마에 역에서 263 미터 |
영업시간 |
영업시간/휴무일은 변경될 수 있으니 방문 전에 점포에 확인해주시기 바랍니다. |
가격대(리뷰 집계) |
~¥999
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지불 방법 |
카드 불가 전자 화폐 불가 |
좌석 수 |
37 Seats ( カウンター6席、テーブル31席) |
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개별룸 |
불가 (없음) |
금연・흡연 |
전면 흡연 가능 2020년 4월 1일부터 간접흡연 대책에 관한 법률(개정 건강증진법)이 시행되고 있으며 최신 정보와 다를 수 있으니 방문 전에 점포에 확인해주시기 바랍니다. |
주차장 |
불가 (없음) |
공간 및 설비 |
카운터석 |
요리 |
조식 있음 |
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이럴 때 추천 |
많은 분이 추천하는 용도입니다. |
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初めてのおつかい。ならぬ初めての引っ越しを進めるにあたって私が心底実感していることは、引っ越しというのは実に「お腹がすくに尽きる !」 ということ。
それは小洒落たお店でのもりそば一枚、ということでは済まされない ! という肉体のサイクルに入っていることに、もはや他ならないということである
<2024.5.5>
狭い部屋の収納、また環境整備に対しての設備調達に要する“計測”にも、もはやとことん疲弊していたが、それも要所のところでは済ませた気になって、今日は息抜きの意味も籠めて洋画の二本立てといきたく、百円玉を5枚握りしめて国鉄大塚駅を下車したところ、まさか「大塚名画座」がどこにも見つからない !
というのは真っ赤な嘘で、気になっていた邦画の切符を池袋にとって、お昼ご飯の為だけに、山手線大塚駅でぶらり途中下車の旅してみた次第
※ 調べてみたら「大塚名画座」は1987年6月閉館とのことで、私の感覚よりも、その閉館がより昔であったことが判明した
駅前商店街の通り、というより一画は、こう言ったらなんだがゴミ屋敷にしか見えないところも数店織り込まれ(こらっ !)、飲み屋なんかは早くから営っているところもあって客層によっては重宝されているのであろうが、私の目には正直、どちらかというと寂しく映る。
時刻は未だ、正午には達しておらず。
ならば大通りのボクのレストラン街へと移動して、古(いにしえ)の「ABC」へと一直線に向かえば、直前私の目の前で自転車を止めて勢い突っ込んでいく彼を目の当たり、店内も予想通りに既に賑わっていたので、野郎一匹くらいならスムースに着席出来たかは知らないけど、アヤついたと思って余所を物色 ……
「ボギー」
すると数件隣に、聞き分けの無い女の頬をひとつふたつ張り倒して、背中を向けてタバコを吸えば他に何も言うことはないと思っている、現代社会では決して通用しないオトコに似た名前の喫茶店があったので、興味本位で覗いてみることに。
「ボギー、あんたの時代は良かった」という諺もあるが、同時に「ブルーバード、お前の時代だ」という諺もある。
「善は急げ」という諺と同時に、「急いては事を仕損じる」という諺があるように ……
だからこそおれは今絶叫したい
「ブルーバード“U”、今こそお名前の時代だ !!」
だったらコスモAPの時代は無かったのか !?
そんな物思いに耽る間も惜しみ、同時並行でナポリの郷土料理をホールの金髪女性に注文すると、カウンターに着いて伝票仕事をしていた、やけにたっぷり黒々とした髪を魅せつけるママがぎろりとこちらを一瞥し、そして二人掛けのテーブルに着いたボクを不憫に思ったか、隣のテーブルをくっつけて四人掛けにしてくれたあと、カウンター向こうのキッチンへと消えていった
BGMは「アッコにおまかせ !」。
そういえば峰竜太さんは竜雷太さんに名前が似ているなと今更気付きつつ、ブラウン管の中ではアッコさん一同、大谷翔平選手の新妻、真美子夫人の美しさに皆目を奪われているようだが、ボクの目には、バスケットボールの女子選手たちよりも、バレーボールの女子選手たちのほうが圧倒的に魅力的に映ってしまうのは何故だろう …… ?
おそらくバスケットボールのユニフォウムの、あのステテコのような半ズボン姿が女性の魅力を著しくスポイルしているからだろう、と見当をつけているのだが
“ナポリタン” @950也。
セットのドリンクをアイスにしてしまった為、プラス50円でちょうど1,000円となる。
その黒髪も艶やかなママのこしらえてくれたナポリタンは、こういった喫茶店のナポリタンとして、中の下くらいかな ……
それは茹で置きにもかかわらず細身の麺の採用だから、ということでもなく、そんなマニュアル上の話ではなく、何かこう、ナポリの強烈な陽射しを思わせるパンチの感じられないことが、人間で言ったら“目が死んでいる”状態のご飯だなぁ、と。
こんなときの改善策としては、料理そのものの改良というよりは、「平凡パンチ」などのエロ本を読ませ、食欲と性欲との合わせ技でお客さんを満たす、というのが一つのてっとり早い方法だが、しかしその方法は、食用と性欲を両立出来る高度なオトコにしか用いることが出来ないこと、言わば“客を選ぶ”ということが弱点であり、おれは無理 (笑)
そんなこんなフォウクを騙し騙しスピンさせつつ、トイレに立ったお客の彼の見送れば、んっ ! 奥にカラオケスナックの看板あるんですけど、だったら何故 !? 歌入れる端末よこせって話だよ。
昼間は喫茶店に擬態するカラオケスナック。十分に成熟したママ。そしてナポリタン etc.
そこで否が応でも浅草のママのナポリタンが頭を過るが、比較することそのものをやめておきたく、となればあとはただひたすらに、アイスカフィがコーヒー牛乳色になるまで、大量にミルクを注いでいくことしか出来なかったボク
その後池袋にて、平成ガメラシリーズを撮った監督による邦画、「ゴールド・ボーイ」という作品を鑑賞。
この作品は前評判から絶対面白いだろうと予想はしていたのだが、なかなか都合の良い時間にかけている映画館を見つけられず、ただ一部の劇場で比較的ロングランになっていたことが功を奏し、ようやく鑑賞に漕ぎつけることが出来た次第。
ワルが勝ち残ってしまう映画として、本作は所謂ピカレスク映画だと思うが、その勝ち残ってしまうワルが“子供”ということが虚を突いていて興味深い。
と同時に、昨今映画界に蔓延り、そして映画をダメにしているポリティカル・コネクトレスに通ずる、腑に落ちぬ弱者保護に対する監督のアンチテーゼが垣間見えてしまえば、私としてはどこか痛快なエンディングと相成った
強欲な大人たち対して、ピュアな子供。
その概念を破壊するように、強欲な大人たちばかりか自分に無条件の愛を注いでくれていた母親、親友、そしてまた自分に好意を抱いてくれているガールフレンドまでをもあっさり踏みにじることが出来ることが寧ろ子供の能力の本質であるということは、ボクや荒木飛呂彦さんなんかだと既に十分に熟知出来ていることなんだけれど、このようなエンターテインメントで、それをぬるま湯の世間にあらためて知らしめていこうという監督の構えには、誠意すら覚えてしまうほど。
世の中の子供たちがふたたび子供本来の残忍をとり戻してくれて、そしてどこまでも傲慢な現代の年寄りたちを、ぜひこてんぱんに凌駕していただきたいなと、他力本願ながら願わずにはいられなくなる、不謹慎ながらもそんな気分にさせられる作品であった