店名 |
Mikasa
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類型 | 大阪燒、文字燒、鐵板燒 |
預約・查詢 |
045-231-0353 |
可供預訂 |
可以預訂
ご予約は4名様以上でお願い致します |
地址 |
神奈川県横浜市中区宮川町2-23 |
交通方式 |
京急日ノ出町から徒歩3分、JR桜木町から徒歩8分。 距离日之出町 280 米 |
營業時間 |
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預算 |
¥3,000~¥3,999 ¥1,000~¥1,999 |
預算(評價匯總) |
¥2,000~¥2,999¥1,000~¥1,999
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付款方式 |
可使用卡 可使用電子錢 |
服務費收費 |
なし |
座位數 |
60 Seats |
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個人包廂 |
不可能 |
包場 |
可能的 可容納20~50人 |
禁煙・吸煙 |
嚴禁吸煙 |
停車場 |
不可能 近隣にコインパーキング多数あり |
空間、設備 |
平靜的空間,有日式包廂,提供免費無線網路連接 |
酒水 |
有日本清酒,有燒酒,有葡萄酒 |
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料理 |
提供英文菜單 |
此時建議 |
許多人推薦的用途。 |
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關於兒童 |
接待兒童 |
網站 | |
開店日 |
1953.10.1 |
備註 |
昭和28年創業の老舗 老舗の味と信頼 |
店鋪公關 |
昭和28年創業“老舗の味と信頼”で愛され続けるお好み・もんじゃ・鉄板焼きのお店。
関東風“みかさ流”お好み焼き&鉄板焼き&もんじゃ焼きのお店へようこそ。「お客様が自分で焼く」タイプですが、生地がオリジナルなので他では味わえないお好み焼きを楽しんで頂けます。みかさ焼き(和風オムレツ)や豚肉を使ったじんぎすかん、さらには「こっちが目当て」と言う方も多い「あんこ巻」や「おしるこ焼」など、人気メニューをそろえてお待ちしております。 |
横浜市の戸塚駅前での2日間の用務を終え、一人で日ノ出町駅近くの野毛の飲み屋街のお好み焼店「みかさ」へ。
昭和28年創業のお店だという。自分はかつて日ノ出町駅前のホテルを定宿としていた時代もあったのだが、このお店のことはつい最近になって漸く知った。当時と今とでは関心の持ち方が違うせいだろう。
時刻は20時すぎ。予約は入れていた。入れ込みの座敷の四人用座卓に通された。左右をグループ客に囲まれ、前後も壁や柱が迫っていて、一人でも若干窮屈な感じがする。座卓の鉄板は一目で年季が入っていることが覗える。
・「瓶ビール(中)キリン」(600円)×2
キリンラガービールだった。2本いただいた。
・「五目焼き」(850円)
明治末から昭和の戦前にかけての東京のお好み焼店のお好み焼のお品書きに「五目焼」というものがあったことが確認されているが、その内容は不明だという。こちらの「五目焼き」が東京の戦前のお好み焼と同じ内容なのか、このお店が名前だけ流用した昭和28年以降の創作なのかは不明。このお店では「屋台風お好み焼き」であると説明している。要するに重ね焼らしい。注文すると、メニューに載せていながら何故か受注を渋られ「五目てん」のほうをお店からは勧められる。焼くのが難しいですからなどとブツブツおっしゃる。「五目てん」はおそらく混ぜ焼なのだろう。そんな理由ならば構わないので「五目焼き」を出していただいた。
バラエティに富む具材が載ったお皿と、生卵が割り落とされた生地が入っているカップが出された。
まず、カップの生卵を崩して生地に溶き込む。2/3ほどを鉄板に流し、薄く円く展ばす。その上にお皿の具材を載せる。キャベツ、ネギ、しいたけ、メンマのようなもの、かまぼこ、さやえんどう、天かす、加熱済みの挽肉、干しエビ、小エビ、ソーセージといったものを次々と載せる。その上からカップの残り1/3をつなぎとしてかけ回す。ひっくり返してコテで軽く圧迫を加えたりしつつ加熱を続ける。もう一度ひっくり返して焼き上がり。ソースは濃厚ソースとウスターソースとがある。やきそば研究家の塩崎省吾さんのブログによると、どちらもサフランソースの製造元に特注しているオリジナルソースとのこと。古風な感じをだしたかったのでウスターソースのほうをかけてみた。さらに味の素と青海苔を振って完成とした。同じ重ね焼でも現代の広島のお好み焼に較べればずっと薄いし、つなぎの量も多いから、焼くのも、コテで崩壊させずに一口大に切り出すのも、とくに難しいことはなかった。
いかにも「五目」らしい多種の具材の賑やかなような散らかったような味わいを楽しんだ。食材の食感を損ねないさっぱりした口当たりだが塩気の効いたよく薫るウスターソースの効果が感じられた。量的には軽めでペロリと平らげた。
・「もちしゅうまい焼き」(690円)
明治末の東京で、文字焼屋台が水溶き小麦粉と安い食材と鉄板で和洋多彩な一品料理を模すパロディ商品を売り出したのがお好み焼のはじまり。大正になると中華料理を模したお好み焼もレパートリーに加わるようになり、その一つが「シュウマイ」だという。
それは具体的には次の如く。
棒状の4本のお餅を鉄板で温めてロの字型に置いて枠を作る。ロの字の枠の中に水溶き小麦粉を少し流し込み底を作る。その上に鉄板で炒めた挽肉と玉ねぎの微塵切りを詰め込む。その上に水溶き小麦粉をかけて蓋をする。ひっくり返して両面を焼く。本物のシュウマイとは似ても似つかないが、適当に切って芥子醤油につけて、目を瞑って食べればシュウマイのような気がする、という愉快なもの。
こちらのお店の「もちしゅうまい焼き」には、挽肉と玉ねぎのほかにキャベツとエビも加わるが、概ね往年の「シュウマイ」と同じようなものを作って、食べてみることができた。
なお、こちらのお店には「もちぎょうざ焼き」というお好み焼もある。ギョウザが一般大衆に知られ人気を呼ぶようになるのは昭和戦後のことなので戦前にはなかったのかもしれない。昭和28年創業のこちらのお店が考案したのだとしたら、一品料理のパロディたるお好み焼の新しいレパートリーを模索する動きが、戦後にもまだ少しは残っていたということなのだろうか。
・「おしるこ焼き」(550円)
昭和戦前までのお好み焼に「おしるこ」あるいは「お鉢」というメニューがあった。それは餡子とお餅を薄焼生地で巻いて輪切りにして、小麦生地細工の鉢に入れて蜜をかけたものだったという。
このお店の「おしるこ焼き」は、それとはまったくの別物。具体的には、水溶き小麦粉に餡子とお餅を投入してよく混ぜ込み、暗褐色の生地とし、それを鉄板に流して円盤状に焼き、白蜜をかけるというものだった。実はこれは「おしるこ」よりも、やはり昔あった「黒んぼ」というお好み焼の内容に近い。これはこれで楽しい。令和の今「黒んぼ」に相当するものが楽しめたのは貴重な経験となった。面白いだけでなく味もよかった。
ちなみに「黒んぼ」は、昭和6年のエチオピア使節団の来日を機に「エチオピア」と呼ばれることも多くなったらしい。こういう時事ネタを取り込むあたりに当時のお好み焼の遊戯としての性格があらわれているのだそうだ。
なお、今日の人権意識に照らすと、暗色のお好み焼に「黒んぼ」や「エチオピア」という名称を充てるのは不適当だろう。もしかするとこのお店ではその辺りを鑑みて敢えて「おしるこ焼き」という名称を充てたのかもしれないなどと考えてみた。
以上、三つのユニークなお好み焼に触れるという、いい経験ができた。
今回このように楽しめたのは、すべて、近代食文化研究会さんの「お好み焼の戦前史」という電子書籍と、塩崎省吾さんの「焼きそば名店探訪録」というブログを読んでいたからこそだった。もし読んでいなければこのお店の面白さがまったくわからなかったことだろう。
ここで記述していることは、その本とブログから引用させていただいた事柄が多い。
さすがにお腹いっぱいとなったのでそれ以上試すことはできなかったが、このお店には他にも面白そうなメニューが目についた。
ひとつが「みはら焼き」。広島県三原市の鶏モツ入りお好み焼の「三原焼き」とは関係ない。これは、昭和8年の伊豆大島の三原山噴火口への連続身投げ事件をネタにして考案された、ブラックジョークめいたお好み焼。このお店の「みはら焼き」の焼き方指南書を見ると、当時の焼き方とほぼ同じ。噴火口に見立てて牛てんの真ん中にあけた穴に、大事なもの(玉子)をぽんと落とす。有名な昭和12年創業の東京のお好み焼店「染太郎」の三原焼が今では別物に成り果てているらしいから、こちらの「みはら焼き」は貴重な存在かもしれない。
「のげ焼き」というのもある。これも昔からあるメニューらしい。ソース焼きそばに溶き卵を絡めて円盤状に焼き固めるものらしい。和歌山県御坊市の「せち焼き」や大阪市の有名店「きじ」のモダン焼きに似た特殊なお好み焼が横浜に昔からあったということなのである。しかもこちらの「のげ焼き」は戦前の東京の「銀座焼き」や「おかやき」にルーツがあるとのことだからますます面白い。
「あんこ巻き」「あんず巻き」というのも戦前のお好み焼メニューにあったもの。それがやはり今ここに存在している。
いつかそれらも試してみたい。