官方消息
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店名 |
Nihombashi isejyuu(Nihombashi isejyuu)
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类型 | 寿喜烧、涮涮锅、牛排 |
预约・查询 |
03-3663-7841 |
预约可/不可 |
可预订
1階で入店し、お履き物をお脱ぎ頂いてから階段で地下1階に降りて頂きます。エレベーターはありませんのでご了承くださいませ。 |
地址 |
東京都中央区日本橋小伝馬町14-9 |
交通方式 |
地铁日比谷线小传马町站徒步2分钟/JR总武快速线马喰町站徒步2分钟/地铁都营新宿线马喰横山站徒步2分钟/都营浅草线东日本桥站徒步5分钟※到小传马町站的乘客,请走1号或3号出口。出到地面后,在右侧走2分钟左右的右侧。※乘坐马喰横山站、东日本桥站 (都营线) 的乘客,从检票口出来经过连接通道后乘坐JR马喰町的1号出口。出到地面后,向左走两分钟左右,在左侧。 距離马食横山 195 米 |
营业时间 |
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预算 |
¥8,000~¥9,999 ¥3,000~¥3,999 |
预算(评价总数) |
¥10,000~¥14,999
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付款方式 |
可使用卡 (Master、JCB、AMEX、VISA、Diners) 无使用电子钱 无使用二維码支付 |
收据 |
可以开具符合条件的发票收据。 注册号码T2010001037369 ※有关最新注册状态,请查看国税厅发票系统合格发票开具人公告网站网站或联系商店。 |
服务费收费 |
総額の10%を奉仕料として頂いております。 |
座位数 |
90 Seats ( 也有固定脚炉和高座椅子的房间。详情请咨询工作人员。) |
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最大宴席可容纳人数 | 90人(坐位) |
个人包厢 |
可能的 可容纳2人、可容纳4人、可容纳6人、可容纳8人、可容纳10~20人、可容纳20~30人、可容纳30人以上 单间一共有8间。通过连接单间,也能应对很多人。 |
包场 |
可能的 可容纳50人以上 |
禁烟・吸烟 |
严禁吸烟 店外有吸烟区。 |
停车场 |
不可能 请使用附近的投币式停车场。 |
空间、设备 |
平静的空间,有日式包厢,有日式围炉座位,提供免费无线网络连接 |
酒水 |
有日本清酒,有烧酒,有葡萄酒 |
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此时建议 |
许多人推荐的用途。 |
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位置 |
神秘不为人知的餐厅 |
服务 |
可提供两个半小时以上的聚会,可提供庆祝・惊喜的服务,提供外带服务,外送 |
关于儿童 |
接待儿童,接待婴儿推车
可以带孩子。婴儿车寄存在1楼的入口。 |
服装规定 |
没什么特别的。 |
网站 | |
备注 |
将收取总金额10%的服务费。如果您想更改人数,请在参观前联系我们。我们不接受因抵达后客人人数变化而取消餐点。感谢您的理解。午餐时每人均可享用日式牛肉火锅套餐。除了日式牛肉火锅之外,还有其他菜肴。 |
餐厅公关 |
「所有房间都是包房」创业151年,东京最古老的日式牛肉火锅专门店。在优雅的空间里享受它。
可以品尝到由工匠手工切割的A5级黑毛和牛的【日本桥伊势州】。我们不关心我们引以为豪的肉的品牌,我们只精心挑选和采购优质肉。使用创业以来一直传承下来的秘传“warishita”技术烹制的“寿日式牛肉火锅”非常精致。午餐还可以享用我们精心挑选的肉类。我们还备有葡萄酒等饮料,请与肉一起享用。店内充满日式氛围,是适合招待或特殊场合的平静空间。 |
水火鉢の蒸気が炭の火力を強めに焚き続ける。
乗せられた空の鉄鍋がドンドンと熱せられていく。
黒い鍋肌から水分がスーッと消えていくと、これまでの歴史で蓄えた香りの重なりが立ち昇り、
まずは鼻先からと、味わいの先付けを楽しませてくれる。
焼ける鉄鍋の煙が「旨い」と感じるお店なんて、
「日本橋 伊勢重」様しか私は知らない♡
・・・。
ちべたい風が頬を撫でまくる季節になると、「鍋料理」が食べたくなる。
イロイロと自称「鍋の王様」は、WBA、WBC、IBF、WBO曰く、肉系、海鮮系、シンプル系、辛い系など乱立している。
しかしながら、わが日本の最高傑作としてのモンスター井上様をイメージするなら、
「鍋の世界統一王様」は「すき焼き」だと、今の私は勝手に思っているでオじゃルまる♡
そして「日本橋 伊勢重」様の「すき焼き」こそが、歴史上でも現代でもPFPチャンピオンだと確信している♡
・・・。
「カレーとすき焼きは、家で食うもんだ」
と、大先輩の作家大先生が堂々と書いていたけど、私と居る時は、チョコチョコとコチラのお店に通っていた♡
イロイロな想い出話を馴染みの集まった人達と沢山する♡
個室が広く、人の動きが気にならずにゆっくりと話しながら食べることが出来る。
しみったれた話とか泣き言みたいな話になるのが嫌で、私が指定した「日本橋 伊勢重」様の「すき焼き」♡
最高に「美味しい」味わいは、話のまとめが必ず「楽しかった想い出」に終始するナリ♡
・・・。
「日本橋 伊勢重」様の「すき焼き」は、その存在の全てが美味しい。
炭火に乗せられた鉄鍋の空焼きの香りでビールは5~6本くらいは飲めるし、白飯も5ん合は食べられる。(個人的なイメージです♡)
お肉の質とか量とか、ドコに文句をつけていいのか皆目見当がつかない。
吟味されつくしたA5等級黒毛和牛を機械切りせずに、いまだに細かい筋にまで気を使った手切りの職人技で仕上げている。
お肉の断面が、ちょっと見たことが無いほど鮮やかで神々しい。
肉の肌の中に通る細かな白い脂の艶が、刃先だけの通りで切り取られた明瞭さをあらわしている。
お肉の断面の刃筋の通りの良し悪しは、口の中に入れると明確になる。焼いたり煮込んだりするとなおさらに。
機械切りの一見綺麗に見える断面は、圧接切りされた後の仕上がりとなると、赤身と脂身のつなぎ目に粗さが出る。
サシが網の目に入ったお肉で、薄切りにするならなおさら。火が通ると隙間が空いたり強烈に縮んだり。
「日本橋 伊勢重」様のお肉は、広げて鍋に入れると、その周りが濃縮凝縮するように全体が形をパンプアップするように盛りあがりはするが、穴が開いたりバラバラになったり切れ端を出したりはしない。
そのままの形を少し押しとどめるだけ。
当然、大事な肉汁なり美味しさのエキスを割り下に必要以上流れ出したりはしない。
だから、口に入れると、その上質な肉質を「とろけるような」と感じる。
薄めに切ったお肉なのに、十分すぎる潤い肉汁を抱えてくれているから。
お肉が上質なのは当然として、それを裏打ちする手切りの妙技が口一杯に味わえる。
そんなお肉を味わってしまうと、添えられる、お豆腐、ネギ、しらたき、春菊、椎茸といった脇役の味わいも格段に飛躍する。
「すき焼き」は家で食べるモノ・・・の意図する所はなんとなく分かるが、このお肉の断面に浮き出る確信的な職人技の手切りの「美味しさ」は、残念だけど家では味わえない。
「日本橋 伊勢重」様が長く愛されるお店なのは、ドコのお店も真似できないオリジナルの技の強さを持ちながら、それを過剰に誇ることも無く、誰にでも優しく丁寧に包み込む寛大さがあるから♡
・・・。
あのね・・・「すき焼き」って、なに料理?
日本食?和食?日本料理?・・・洋食では無いよね?
・・・。
・・・。
・・・。
日本食、和食、日本料理、洋食などなど、日本で食べるモノに対して、枠組みの話はイロイロとある。
自分でも、ゴチャゴチャとしたままで、あーダこーダと、食べるコトを話しているが、何が何なのかチョットだけ整理してみる。
まずは、誰が言い出したのか「日本食」と言う言葉が、一番大きな枠になっている宗田節。
「日本食」は、過去から現在に至る広く長い期間の中で、日本で食べられている食事全般、食べ物全部を言う。
当然、素材の主が日本で生産されたり作られたモノから、どっかから持ち込まれ輸入されたモノであっても、土地として日本で料理され一般的に食べられるモノであったり、海外の料理に影響を受け日本人の味覚に合わせにイこうがイかまいが、大きく現在日本で食べられる全て、全部の食べ物を「日本食」と言う。
意外と、この定義は奥が深く、考えられた話で、コレがあると超便利だったりするナリ♡
「日本食」と言う大きな括りの中に、それこそ「和食」、「洋食」、「フランス料理」、「イタリア料理」、「インド料理」、「中華料理」等々の、「なんちゃら料理」まで全てが含まれる。
日本で食べられているモノは、全部「日本食」なのでアリんス。
「日本食」の中の「項目」として、「イロイロな料理」がアルのだと理解するトすると、どうなるノか?
全てに言えることは、「日本食」から「見た」、「和食」とか、
「日本食」から「見た」、「洋食」。
「日本食」から「見た」、「フランス料理」。
「日本食」から「見た」、「インド料理」。
と言う、考え方や立ち位置を明確に理解するキッカケになるのも、華厳の滝ではないズら。
ちなみに「日本食」から「見た」、「フランス料理」などのキッチリした外国銘の料理は、オリジナルの調理法や味付けなど、その国、その地方での食べ方にあまりアレンジを加えていないモノを言う、ザックリした話でヤンす。
つまりは「日本食」と言う言い方は、「日本人」が「過去」から「現代」に至るまで、「食文化」として我が身に取り入れて来た「食べ物の歴史」の話をしていることトなる♡
ではでは、「日本食」の項目に含まれる「和食」と「日本料理」に違いがあるのか?と、言う話。
「和食」とは、「日本風の食事」という意味合いが強いようでゴじゃる。
そもそも、「和食」と言う言葉は、明治になって流行りに成った「洋食」や「シナ料理(中華・中国料理と呼ばれるのはだいぶ後の話。トルコ風呂がソープランドになったような流れで)」などの言葉が先に言われ出し、それに対比する言葉として使われ出したのが「和食」。
「日本料理」と言う言葉も、同じモノで、意外と最近になってから言われ出した。
そもそも、日本人は歴史的に明治になるまでは、「和食」とか「日本料理」などの言葉は持っていなかった。
では、ちょっくら細かに見て行くと、まず、
「和食」は、「一汁三菜」のような「ご飯」と「汁物」があった上で、日本国内でよく食べられている「おかず」を食べる食事を指していると、されてイますル。
しかし、なんか怖いのは、どんな文献でも
「内容に明確な定義はありませんが」
との言葉が大抵添えられている。
そうなると、何となくの感覚で空気を読むしかないので、米を主食とし、汁物、漬物、おかずを組み合わせることで出来上がる、家庭料理や定食などの一般的に身近にある「食事」のことを「和食」と言っている・・・ような気がしたりする。・・・疑問は、次々と出てくる・・・が、まずは、ひとまず・・・。
対して、「日本料理」とは?
「日本料理」とは、「日本の風土で独自に発達した料理」という意味の言葉だそうです。
日本の国土の中で古くから育まれた食材を使い、伝統的な調理法によって作られた料理を言うと。
季節感が重視され、新鮮な魚介や野菜など素材の持ち味を活かすのが特徴で、強い香辛料などはあまり使わず、配膳や器、盛り付けなど、見た目の美しさも尊重されます。
ただ、「内容に明確な定義はありませんが」
・・・だ、そうです。
・・・何となく、「高級」とか「懐石料理」「会席料理」などの、日常生活や家庭では出てこない「かしこまった」正装の場で提供される料理を「日本料理」と言っている・・・気がしないでも無いが、多分、ソゲな感じなのだろう。
「和食」に対しての疑問は、米を主食として汁物を添えたら、「おかず」は何でもいいのか?・・・である。
「生姜焼き」「コロッケ」「アジフライ」・・・なんなら「ラーメンライス」「焼きそばライス」「お好み焼き定食」などは、「和食」の括りで検印検閲は通るのだろうか?
「日本料理」に対しては、「日本国内で古来より育まれた食材」と言うが、「外来種」じゃない「日本原産」の野菜を探すと「フキ、三つ葉、ウド、ワサビ、明日葉、セリと山菜」くらい・・・。
現在、日本で流通している野菜の96%程は、もとが全て外国から渡来して来たモノしかないでオじゃル・・・。
それと「伝統的な料理法」と言うが、具体的に何を指しているのだろうか?
日本の料理とかを技とか技術と言うならば、変な話だが「何とか流」とか言う「流派」とか「系譜」とかになるのだろうか?
そうなると「印可状」とか「免許皆伝」とか、なんなら「一子相伝」なんてナ伝統調理流派もあったりするし・・・。
そこまでの話ではなく、「日本的な和包丁」での扱いや「強火の遠火」みたいな、
「割主烹従」、生の状態の旨味を最上とし、その旨味だけを引き出すのに火を使うとか。
「五法」が語る古代からの知恵とも言える、
殺菌手段である「焼く」、
素材に味を染みこませる「煮る」、
ふっくらとした柔らかな歯触りで安心感をあたえてくれる「蒸す」、
耳に伝わる音も心地よい食感と満腹感を感じさせてくれる「揚げる」を言っているのか・・・。
では、その技法でパスタを和風とゴニョゴニョとしたり、カレーを蕎麦屋でコチョコチョしたモノはナンになるのか?・・・。
今一度、おおもとの「日本食」と言う言葉を古来のどの辺の、ドコに適用するかにもよる話になるが・・・。
現代に至る流れで、「日本人」として成り立って行く歴史の中、イロイロな「出会い」が「味」や「料理」として、その「食文化」に取り入れて行ったとすると・・・。
「日本食」から「見た」、「和食」や「日本料理」とはマジな話でナンじゃラホイ?
教科書的には、平安時代頃に禅宗が「肉」や「刺激物」や「精のつく食べ物」を制限したことから、出汁等の調理方法を模索し、大豆や野菜を中心に食べるようになり、それに合わせて調理法や保存法に発展のキッカケを得て、「和食」や「日本料理」は発達してきたと言われていたりする。
当然、禅宗は、禅を味わう精進料理ということになり、料理のベースには、心身ともに浄化することを目的にしている。食べることすら修行の一環として。精進料理は、肉や魚介類を使わず、野菜を中心に、穀物、種子、海藻だけを使い、不殺の仏教の教えに従って調理されてきている。
・・・と、なると、「肉」や「魚」を扱った料理は、そもそもの「和食」や「日本料理」には含まれないのでは?なんて、・・・底意地の悪い考えが浮かんだりモするのでアリんス。ははっ~♡
そもそも「日本食」と言う大きい括りで話を進めるが・・・、話を過大解釈して超大きくすると・・・、
大古の昔、こん棒を持ってフルちん&フルぴらで走り回っていた時代に食べていたであろう、鹿「肉」やイノシシ「肉」、トチの実、山ぶどう、鬼クルミ、カツオや生牡蠣にアサリ、なんかも大きく言えば「日本食」であり、その始祖的な「食べ物」だと言えたりするのかな? ははっ~♡
でも、ちょっと考えると、つくづく「日本食」は、「魚」と言うか「肉」・・・、特に「肉」と「肉」と「肉」に翻弄された「食文化」のような気がしたりする。
「肉」を食べていた大古の時代から、「肉」を食べてはダメですヨの時代をへて、また、なんとなく「肉」って美味しいジャあ~りませんかァの時代となって、現代に繋がっていルん。
日本の代表的な食べ物の1つとされる「すき焼き」なんぞは、詳細明確な「日本食」として間違いはないと思うが、「和食」とか「日本料理」としたら、ドコの項目分類に入るのだろうか?
明治、文明開化の象徴みたいな食べ物「すき焼き」♡
そう♡ 「すき焼き」とか「牛鍋」とか言われる食べ物なんて、日本人としても世界から見ても、まぎれも無いカラの、代表的な「日本食」と言える食べ物としか思えない・・・。
でも、「和食」なの?「日本料理」なの?・・・「洋食」ってことはないよね・・・?
・・・と、なると、もしかして「料理」とか「おかず」は、見るべき視点とか角度をその都度変化させるものなのかもしれないし、その見方が、もしかして「和食」や「日本料理」の判断には必要なのかもしれない・・・ズら。
例としての、まず、「すき焼き」・・・。
ソコには牛肉やら豚肉やらと、なんかしらの「肉」をメインなり主役として登場させている。
そもそも牛&豚の「肉」は、日本の伝統的な食材と言えるだろうか?
鹿肉、イノシシ肉、鶏肉とかからみたら、牛肉や豚肉は絶対的な満票当選にはならないだろう・・・。
したがって「和食・日本料理」度は-30%~-50%くらいは、感覚的に下がるのでないだろうきゃ。
しかし、食材的なネギや糸コんや焼き豆腐なんかのサイド助演の力と、一般的に生卵カシャカシャ後のディップなんかは、「和食・日本料理」度は逆に+30%~+50%くらいは、感覚的に上がるのでないだろうぎゃ。
伝統的な技法とするなら、鍋を使い、甘辛出汁とした「醤油」や「味噌」を味付けとして使っている。その味わいはさらに加点必須である。
もっと言うなれば、進化とか発展とか融合とか、脈々と流れて食べて来たモノに、革命的な要素が加味されて、何かの枠組みの「広がり」を感じ取れてしまう♡
だとすると、決め手と言うか、結論は、
「イロイロと作り方とか方法はあるけど、そこに、味付けとしての「醤油」並び「味噌」的な味付けが加味される」
ことが、「日本食」内の「和食・日本料理」に落とし込む根拠となるのだろうか?
だじがに゛、「醤油」や「味噌」の味わいがあると、総体的総合点として「和食・日本料理」度は+100%~+369%くらいは、感覚的に上がり、ドコから見てもチョンマゲ侍日本人のvisualに成ってしまうのではなかろうか・・・。
まんズぅ、観光外国人がパネルに開いた穴から顔を出し、イロイロな日本的な姿で写る記念写真的なクオリティでは無いと思ったりスル。
ほんじゃ、「醤油」とか「味噌」が味付けに使われていたら、「日本食」の中の「和食・日本食」の項目分類に入って行くのだろうか・・・?
・・・そうとも言えるし、そうじゃないのかもしれない・・・と。
あれ? おかしいな? なに料理か? 分類的にドコの料理か? 項目は分類は? の話を・・・していたのに・・・、
とどのつまり、「味」の話をしている・・・オイラ・・・。
そうなんですよね♡ 結局は、個人のソレを集約した「味」の話しか、「なに料理か?」なんてな定義は出来ないと思うんでしゅけど~♡
ははっ~♡
古来より、伝統的、受け継いだ技法、日本的な、その国独特の、・・・とか、定義と言うと、堅苦しい話をどうしてもし出すのが・・・人の性♡ 天才に憧れを持ったナンチャラ♡
でもね、つまりは、結局は、「食べた人」、「食べた本人」、「食べて味を感じた人」しか、その料理の定義は定められない気がしたりすルんですヨねぇ~♡
今、日本で食べられる食事、食べ物の全てが「日本食」と言うのは、とってもイイ言葉♡
じゃ、「和食なの日本料理なの?」と聞かれたら、一番最初に出てくる定義は、
「味が、和食っぽい」とか言う感覚・・・。
感じた感覚が一番大事になるような気がしますル。
じゃ、「日本料理とは?」と聞かれたら、
「味が、和食よりも洗練されて、襟元を正して味わわないといけない気がする」とか。
じゃ、「洋食とは?」と聞かれたら、
「味が、洋食っぽい」となる・・・気がする。
「何々料理とは?」を解説するのに、素材が、技法が、見た目が、テーブルマナーがとかいきなり言い出して、最後に、
「しかし、内容に明確な定義はありません」
と、締めくくるなら、いっちゃん最初に、
「先ずは、和食っぽい味である」とか「先ずは、洋食っぽい味である」とか「とにかくフランス料理っぽい味である」
と、言ってから解説をして定義づけして行った方が、誰も無駄に混乱はしないような気がする。
「ナンとかっぽい」とか「何とか風」とか、意外と曖昧なように見えて、確信に一番近い時の感覚のような気がしたりする♡
だって、その方が、明確に意図は伝わるでしょ? ははっ~♡
・・・で、「すき焼き」と言うと、
家で食べる時は、「和食」。
お店で食べる時は、「日本料理」。
そんくらいのユラユラ、ユルユルの立ち位置が一番合っているとか・・・と、思ったりもスルっす♡
ははっ~♡
・・・そうだ、「洋食」の流行りについてもチョットだけ・・・。
日本で「洋食」ならびに「洋食化」が進んだのは、当然、美味しいから。
それとは別に大きな要因として、「脚気(かっけ)」と言う病気が重要な役割を持っています。
1912年、ポーランドの生化学者カシミール・フンクは、原因不明で人々を苦しめた「脚気(かっけ)」という病気が、「ある栄養素の不足」によって起こることを突き止めた。
それが、生きるために「必須(vital)」である「アミン類(amine)」という化合物であったことから、その栄養素を「vitamine」と名づけた。
これがビタミンB1であった。(後にアミン類でないビタミンがあることもわかり、「vitamin」という表記に変わる)
ビタミンについて研究が進むと、それまで原因不明だった数々の病気が、「特定の栄養素の欠乏」によって起こると判明していく。
夜盲症(ビタミンA欠乏)、
壊血病(ビタミンC欠乏)、
くる病・骨軟化症(ビタミンD欠乏)、
ぺラグラ(ナイアシン欠乏)、
悪性貧血(ビタミンB12欠乏)など、
病気の原因がビタミン欠乏にあることが判明した。
ビタミンは、三大栄養素と違ってエネルギーにはならないが、人体の機能を正常に保つために必須の有機化合物。そしてビタミンは13種類あり、体内ではほぼ合成できない。つまり、人は、「食べ物」「食品」からしかビタミンを摂取出来ないのでオじゃル。日本の歴史において、「脚気」は、「国民病」といわれるほど流行した。
脚気にかかると、神経の障害によって手足が麻痺し、しびれなどを引き起こす。症状が進むと心臓に障害を起こして死亡するほどヤバい病気。
江戸時代、玄米に代わって白米が徐々に普及するにつれ、脚気が広まり始めた。
白米は、米の胚芽に多く含まれるビタミンB1が、精米によって取り除かれてしまう。
当時は副食も乏しく、そもそもビタミンB1は欠乏しがち。ビタミンの概念もなく、脚気は原因不明の病気、奇病とされ、白米がいち早く普及した江戸に多かったことから、「江戸わずらい」などとも呼ばれた。まぁ、よく聞く話。
明治時代に入っても脚気の流行は、とどまることなくさらに拡大し、年間4万~10万人ほどが脚気で亡くなった。
特に、「1日6合の白米が食べられる」と宣伝され徴兵令などで集められた人達が、軍隊内で同じ兵舎で食事を共にすることで、脚気が蔓延し死亡する兵士が後を絶たず、戦傷者より脚気で亡くなる人のほうが多く出た。
「海軍」軍医の高木兼寛は、脚気の原因が食べものにあることをいち早く見抜き、「海軍」兵食に「麦飯」を取り入れ、「海軍」の脚気を激減させた。イギリスに留学経験のあった高木は、イギリス海軍に脚気がないことに注目し、「洋食」が解決の鍵であるとの確信から、積極的に「西洋食を独自に日本風」にアレンジした「洋食」を「海軍」兵食に取り入れた。
一方、「陸軍」軍医であった森林太郎(森鴎外)は、脚気は「脚気菌」による細菌感染症であるとする説にこだわった。
東京大学からドイツに留学し、最先端の医学を学んだエリート軍医の森にとって、高木の経験則に基づく治療は非科学的に思えたようだ。高木が推奨する麦飯やおかずの「洋食化」が有効と広まるほどに、森は頑なに「陸軍」内で細菌説を提唱固執し、その結果、日清戦争では1万人以上、日露戦争では5万5千人以上の「陸軍」兵士が脚気で死亡した。
一方、「海軍」兵士の脚気による死亡は日清戦争で0人、日露戦争ではわずか3人であった。「海軍」の兵員数が陸軍より少ないことを差し引いても、差は歴然である。
徴兵が終わり「海軍」に集められた人達は、一様に「脚気」に対しての経験知識を出身地方に持ち帰って行った。
当然、その時に「海軍」で食した数々の「洋食」メニュー、「カレーライス」「コロッケ」「ハンバーグ」「ゼリー」などなど、現代の「洋食」につながる基礎的な料理を日本全国津々浦々と広めていった。
・・・実は戦争をキッカケにして、ある特定の場所に長期で集められ、その後、各地に戻って行く「人の流れ」で全国に広がった食べ物は、たっ~くさんアル。
日本において、「洋食」の発祥を「日本在住の外国人のために出来た西洋料理店が始まり」とされることが多く、文献的に明治28年創業、銀座の「煉瓦亭」とされることも多い。
しかし・・・文明開化、明治5年(1872)に、陛下が牛肉を食べて以来、すき焼き、カレー、ポークソテー、コロッケ、肉じゃがは、意外と「洋食」とするお店が出来る前から、家庭の食卓にはあがりだしていた。
「和食・日本料理」と「洋食」を区別する向きもあるが、当初の「洋食」・・・今もかな?「ご飯」を食べるための「おかず」である立ち位置は変わってイナイ、気がする。
ただ、日本で「洋食」が広がった要因が、明治時代に陛下や国が国賓来賓をもてなす時、「フランス料理」をチョイスしたからでは無い。
「フランス料理」でもてなす理由はイロイロとある。イロイロとイロイロとイロイロあるナリ。
そもそも「フランス料理」の立ち位置が国際的なスタンダードであり、日本食の「和食・日本料理」には外国人が食べ慣れない生食や発酵食品が多く含まれている。
遊びに来ているワケでは無い外国のVIPが、体調を崩す要因が食べなれない「食べ物」であってはイケないのは、誰だって分かると思う。
だったら、そんな「食べ物」の不安は最初から排除しないと外交の場は成り立たない。
それを食べて、何かしらのトラブルがアッたとしたら、誰が責任をとるのか?
もてなす側は、その重要性をドウ考えるのか?
・・・昔々、江戸の将軍が、何度かの毒見役の試食をかいくぐったお膳に箸をつけた。
しかし、本来あってはならない、ハマグリの殻の小さい破片が吸い物の中にあり、吸すり込んだ時に将軍の口の中で歯に当たってしまった。
将軍は、口を手でぬぐうフリをして、口元からその破片を襟の合わせの中に・・・そっと入れた。
将軍が
「なんぞ、椀に、貝の破片が入っているぞ・・・」
などと態度や言葉で示してしまったら、お付きの人、毒見役、配膳役、料理人などなど多くの人達が、叱責どころか命のやり取りに話が発展してしまうカモしれナイから・・・。
将軍の人柄と言うべきか、この話の良さを理解できるのは日本的な優しさなのか・・・。
国際社会で、自国の料理が一番とアピールするのは結構だけど、それを「食べる人」が「どんな人達なのか」まで、ちゃんと注意して気を配るのが、「日本的なオモテナシ」なのである。
「日本食」の中の「和食・日本料理」は、世界的にみると、まだまだ発展の余地があり、これからの料理でもある光を持っている。
そして「日本食」と言う言葉の良さは、どんな国のどんな料理であっても、オリジナルの良さを残しつつ、絶妙なカスタマイズをほどこして世に広めることが出来ている。
「フランス料理」「イタリア料理」「中華料理」などなど、その祖先を辿ると基になる料理が他国にあったとしても、ニュータイプとして確立し「日本食」として丸々取り入れられた料理は、数限りなくアル。
捉え方として、逆に「日本食」は「世界を網羅」しているとも言える。
だって、日本で食べるモノは「全て」が、「日本食」なのだから。
オモテナシで「フランス料理」が出たとしても、「日本」で食べるなら、それは「日本食」に含まれた1項目の「フランス料理」でしかない。
知識の使い方、見方は、外交の現場、リアルなやり取りの場でも存分に使われている。
ただ従順なことが謙虚さで、
他に追従することが素直さで、
同調をしうることが協調性では無い。
分かるかな?
「日本食」と名付けた本当の意味を?
当たり前のようで・・・「日本食」なんてな全てを網羅する概念を持つ国ナンて、ドコにも無い。
壮大な先を見すえた、スんゲー頭脳戦の話なんだけどなぁ~♡
ははっ~♡