改めて此処が私にとって大切な場所であることを痛感
再訪せねばと思いながら、3年以上ご無沙汰してしまった。
数日前に思い立ち、最近は予約が必須とのことで電話で席を確保。
昔から浅草でもこのあたりの雰囲気は独特。
しっとりとした空気を肌に感じつつ、6時の開店直後に到着。
二重の引き戸を開けると、私の顔を覚えていてくれた女将さんが、にこやかに迎え入れてくれた。
定位置である、左側の2人掛けのテーブルが用意されていた。
今回は接客には手伝いの女性が、奥にもご主人の他に親戚だという男性の姿が見える。
しかし何れも仕事面では不慣れなところが目立ち、かえって女将さんが気を遣うことが増えているようにも思える。
まずはビール(ヱビス中瓶)をもらう。
昔ながらの扇子のお品書きから「月見いも」と「板わさ」を注文。
すんなりと出てこないのは毎度のこと。
のんびりとビールのグラスを空けるうちに、2つがほぼ同時に運ばれた。
まず平鉢の「月見いも」の景色を愛でる。
中央に卵黄が落とされ、手前には青海苔がさり気なく振られている。
とろろは泡立てた卵白が混ぜ込まれているので、艶やかで純白に近く、食感もふわふわ。
崩した卵黄を混ぜ込んでも、箸で切って持ち上がるほどの粘りの強さ。
添えられたそばつゆと山葵をちょこんと付けて口に運ぶが、滑らかな舌触りが実に心地良い。
数日前に中野の専門店で味わった、鄙びた味わいの「丸子の麦とろ」が'黒はんぺん'ならば、こちらは洗練された江戸前の'白はんぺん'の趣である。
一方の「板わさ」は、3通りの飾り切りが施された上質の蒲鉾が長皿で登場。
プリッとした歯応えも良好な、小粋な蕎麦屋の定番の味。
酒は昔から客が冷蔵ケースを眺めて、好みの銘柄を指定するスタイル。
越後の「鶴齢」を選ぶが、今回は鉄瓶では無く洒落た図柄の竹筒状の酒器で供された。
そろそろ席が埋まり始めたので、久々に試そうと思っていた「粗挽きそばがき」を頼んでおく。
独特の形状の行平で練り上げられ、鍋のまま出されるが、これには生醤油の他に黄粉が添えられるのもこちらの流儀。
馥郁たる香りとともに、粒々の歯触りと程良いねっとり感を堪能。
鍋の底のこびり付いた部分を、へらで剥がすのも楽しい。
酒に佐賀の「東一」を追加して、暫しゆるりとしたひと時を過ごす。
相変わらず女将さんは、店内をかいがいしく小走りで駆け巡っている。
そんな中でも一人客の私に対して、時々声をかけてくれる気遣いがゆかしい。
蕎麦も早めに「おせいろ」を頼んでおいた。
粗挽き感のある蕎麦の仕上がりも、丁寧なつゆの加減もゆるぎない。
一枚1,250円は破格であるが、ご主人渾身の出来映えに納得。
サラッとした蕎麦湯で〆て、充足感に浸る。
こちらの蕎麦屋が私にとって特別な存在であることは、前回までのレビューに長々と述べているため、今回は割愛させていただく。
今回は只々再びこの場所に身を置くことが出来たことを、素直に喜びたい。
帰りがけに女将さんに、'お元気そうで安心しました'と伝えたところ、'ハイ、お父さんと二人で体が続く限り頑張りますので、今後とも宜しくお願いします'という言葉が返って来た。
チャーミングな女将さんの笑顔を見るだけでも、これからも通い続けたい。
江戸の食文化の昇華 洒脱の妙
前回から2年以上経ており、早く訪れたい思いは有ったものの、最近は昼に打つ量は少なくありつける客は限られ、夜もほとんど予約客でいっぱいという状況を伝え聞いて、何となく躊躇していた。
今回も一か八かの気持ちで、足を運んでみた。
6時少し前、横丁を曲がった場所から看板の明かりが見える。
店の前まで行くと、丁度女将さんが暖簾を出すところだった。
しかし店頭には‘本日予約客のみにて貸し切り’の掲示がある。
一応女将さんに‘ダメですか’と聞いてみたら、‘ちょっとお待ちくださいね’と奥に引っ込み、ご主人と相談している様子。
暫しの後、‘出来るものは限られますが、いいですよ’と、笑顔で迎え入れてくれた。
いつものように左手の椅子席に腰を下ろす。
ビール(ヱビスの中瓶)をもらい、扇子の品書きに目を通す。
簡単なもので済まそうと「いたわさ」をお願いすると、予約客の分しか用意が無いとのこと。
手が掛かることを承知で‘「天ちら」は出来ますか’と問えば、なんと大丈夫とのこと。
ちびちびやっていたビールの2/3ほどが減ったころ、見た目も華やかな「天ちら」が登場。
横長の器に結構大き目の海老2尾、野菜は茄子・南瓜・しし唐・大葉、それに見慣れない葉っぱが一枚混ざっている。
女将さんに尋ねたら「宿根蕎麦(しゅくねそば)の葉」だという。
蕎麦は一年草だけで、多年草の種類があること自体初めて知ったが、家に帰って調べてみたら、花は咲くが実は付けない品種とのこと。
冬場は枯れても春になると芽を出すそうで、実を結ばないのも納得した次第。
味は癖が無く、言われなければこれが蕎麦の葉だとは分からない。
海老はしっかり目の火通りだが、旨みはきちんとある。
他の野菜も薄目の衣の綺麗な揚げ上がりで美味しい。
仕事の基本は「蕎麦屋の天ぷら」であるため、今どきの流行のように塩ではなく、濃い目の「天つゆ」が付くところも嬉しい。
酒はいつものように自分で冷蔵庫を覗き「日高見」を選び、女将さんに鉄瓶で出してもらう。
やがて予約の客が次々と入店してきて、にわかに女将さんの動きが目まぐるしくなってきた。
早めに頼んでおいた「おせいろ」は、予約客の鴨鍋の用意が一段落した合間に、それほど待つことなく出てきた。
今回の蕎麦は星も見え、ややざらっとした田舎蕎麦タイプだったが、蕎麦打ちの奥義を感じさせる見事な仕上がり。
香りの良さは流石で、今回は「そばがき」を頼まなかったが十分に満足できた。
つゆの深みのある味わいも相変わらず。
自然体の蕎麦湯で締めれば、充足感が体内に染みわたっていく。
無理を言って迎えてくれた主人夫妻に礼を述べて、店を後にする。
高齢のお二人だけで後継者もおらず、正直この先何十年も続くとは考えにくい店。
伝説の名店となってしまう前に、一年に一度くらいは通いたいという気持ちを強く持つ。
(11枚の写真を新規掲載)
≪2011年6月のレビュー≫
しばらくご無沙汰しているので、訪れたい気持ちが募っていた。
6時ごろに到着したが、奥に灯りは点いているもののやっていない様子。
図々しく扉を開けて‘いいですか’と声をかけると、女将さんが出てきてくれた。
なんでもこの暑さなのに急に「鴨鍋」の予約が入り、それに追われて開店が遅れたとのこと。
‘急ぎませんから’と告げて、いつもの左側の椅子席に腰をおろし瓶ビールを注文。
肴には「たたみいわし」と久しぶりに「粗挽きそばがき」をお願いして、のんびり構えることにする。
「たたみいわし」も「焼きのり」同様に、火入れを忍ばせた木箱で供される。しみじみとした味だ。
しばらくしてこの店ならではの「行平」で練り上げた「そばがき」が登場。
可愛らしい醤油差しと共に「黄粉」も付けてくれる。
熱いうちの香りや食感も良いが、こびりついたところを箸でこそげ落とすのもなかなか楽しい。
勝手に冷蔵庫を開けて選んだ酒は、やはり石巻の「伯楽星」。
やがて予約客も含めてほぼ満席状態になる。
忙しそうに駆け回る女将さんに、先に「おせいろ」を1枚注文しておく。
トイレに立った時に見止めた入口わきのガラスケースに並ぶ、年代物と思われる「湯桶」のコレクションは見事。
‘遅くなって申し訳ありません’と出された「おせいろ」は、今回はやや粗めの挽きであったが相変わらずの精妙な仕事。
甘さを抑えた「つゆ」の加減も良い。
いつまでも続いてほしい名店である。
≪2010年3月のレビュー≫
今や「美味い・安い・量がある」=「庶民的」という考え方が一般的だが、江戸前の蕎麦屋を語る上ではこれは当てはまらない。
江戸開府のころ上方から齎されたという蕎麦は、当初は現代のファーストフード的な安直な腹塞ぎであったが、太平の世が続くにつれ、次第に趣味食の色合いを見せるようになる。
この時代、江戸の民衆の主食はあくまでも白米であり、蕎麦は寒村における「米の代用食」のような侘しい存在ではなく、酒とともにその香りや歯触りを楽しむ、「おやつ」感覚の粋な嗜好品。
東京の老舗蕎麦屋では未だに「上酒」という呼び方をするように、蕎麦屋では‘上方よりの下り物’であった質の良い酒が用意されており、仕事帰りに「上酒」と気の利いた「肴」で一杯やったあと、蕎麦で〆ることが庶民の楽しみであった。
そのため‘盛りの良さを売り物にするような蕎麦屋は「野暮」’という価値観は、今日でも東京人の気質の中に残っている。
最近、いわゆる「こだわりの蕎麦屋」が次々と出現する伏線には、蕎麦に対する江戸っ子の深い思い入れが潜在する。
しかし明治以降、特に大震災をきっかけに食文化の交流が起こり、さらに戦後の食糧事情や粉の統制にまつわる経営上の問題で、本来の蕎麦屋のスタイルは影が薄れていく。
経済成長期は地方からの人口流入があり、飯屋不足から大半の店は食事処へ変貌し、蕎麦屋が「うどん」や「丼物」を商うことが当たり前になってしまった。
近頃は、出羽の「板蕎麦」や越後の「へぎ蕎麦」を売り物にする店が東京に数多く出現しており、盛りが良いため蕎麦だけで腹いっぱいにしたい人には好評のようだ。
しかしこれらは伝統的な「江戸蕎麦」とはコンセプトが異なり、同じ土俵で論じることは意味が無い。
さて前置きが長くなったが、ここ「大黒屋」は「足利一茶庵」の出であるが、場所柄、味にも店構えにも、いかにも東京の粋を示している店である。
蕎麦もつゆも、手間の掛け方は並々ならぬものが伝わって来る。
しかしそれは決してストイックではなく、しみじみとした愛情あふれる味わいである。
職人気質のご主人と、一人で客席を駆け回る女将さんの懸命な応対には、心打たれるものがある。
久しぶりに訪れて、改めて素晴らしさを実感。
繁忙時には待たされることを承知しているので、今回は空いた日時を見計らって出向いたため、比較的ゆっくりできた。
酒の銘柄は品書きに無く、客が冷蔵庫を開けて選んだものが鉄瓶で供される。
肴は一茶庵伝統のしゃもじで焼き目を付けた「焼き味噌」、火入れを忍ばせた木箱で出される「焼き海苔」、それに揚げ具合が絶妙な「天ちら」。
この前に食した、独特の行平で練り上げた「そばがき」や、メレンゲ状の「月見いも」なども美味い。
〆の「おせいろ」は今回はやや細めであったが、香りやコシも十分で見事な出来。
時々で打ち方は微妙に変えているそうだ。
この店に来るたび、つくづく江戸前の蕎麦というものはCP云々では説明のつかないものだと思う。
かつて米の代用食と蔑まれていた蕎麦を、粋の境地まで到達させた「江戸の食文化の昇華」がここに在る。
それは正装して臨む「高級フレンチ」や、贅を凝らした座敷での「懐石料理」といった、ステイタスを誇示するような「けれんみ」とは無縁の「洒脱」の世界である。
점포명 |
Kyou Tei Daikokuya(Kyou Tei Daikokuya)
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장르 | 소바 |
예약・문의하기 |
03-3874-2986 |
예약 가능 여부 |
완전 예약제
木、金、土の完全予約制、前日までの要予約とお店のホームページに記載あり。 |
주소 |
東京都台東区浅草4-39-2 |
교통수단 |
아사쿠사 역에서 617 미터 |
영업시간 |
영업시간과 휴무일은 변경될 수 있으니, 방문하기 전에 식당에 확인하시기 바랍니다. |
예산 |
¥6,000~¥7,999 |
예산(리뷰 집계) |
¥8,000~¥9,999¥2,000~¥2,999
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지불 방법 |
카드 불가 전자 화폐 불가 |
좌석 수 |
20 Seats |
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개별룸 |
불가 |
카시키리(기간을 정하여 빌려줌) |
가능 |
금연・흡연 |
완전 금연 ※입구에 흡연 스페이스 있음 |
주차장 |
불가 |
공간 및 설비 |
좌식 있음,일식 난방(코타츠; 마루청을 뜯어 그 위에 설치한 열원을 갖춘 밥상)있음. |
음료 |
일본 청주(사케) 있음 |
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이럴 때 추천 |
많은 분이 추천하는 용도입니다. |
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홈페이지 | |
비고 |
낮의 영업은 당분간 휴가와 입구에 종이가 있습니다. |
가게 홍보 |
소바 치기 약 45년의 점주가 추구하는, 깊은 재래종의 매력
번화가에서 벗어난 아사쿠사의 주택가의 일각에 있는 메밀의 명점【소테이 다이코쿠야】. 가게 주인 스가노 나리오 씨는 소바 치기의 명인으로 알려진 고 가타쿠라 야스오 씨에게 사사하고 메밀 치는 사람 근육 40 년 이상이되는 지금도 이상적인 메밀을 계속 탐구하는 순수한 장인입니다. 그런 점주가 고집하는 것이, 니가타현과 나가노현의 농가로부터 매입하는 메밀의 재래 |
いつも'蕎麦屋で一杯'をご一緒しているマイフォロアーさんを今回お連れしたのは、浅草観音裏のこちらの蕎麦処。
私は20年ほど前から時々訪れているが、コロナ禍の影響もあり5年以上もご無沙汰していたためお付き合い頂いた。
ご主人もお年を召され少しずつ営業日時が絞られてきたが、現在は木・金・土曜日の夜の完全予約制。
場所は言問通りの北側の、俗に'観音裏'と呼ばれる花街の面影も残るしっとりとした空気感が漂う一帯の中。
マイフォロアーさんと丁度出くわしたのは定時より少し前で、その辺りをゆっくり目に巡りながら向かう。
植栽に囲まれた外観の奥に暖簾が見え、思い出深い2重になったガラス戸に手を掛けると、中年の男性スタッフが出迎えてくれて奥からご主人の声も聞かれた。
しかしいつもの女将さんの姿が見えないことを怪訝に思うが、どうやら体調を崩されているようだ。
現在は右手の掘りごたつ式の小上がりだけを使用しており、既に単身の女性が先客でいらっしゃる。
我々には手前の4人掛けの卓が用意されていた。
予約はコースが主体で、事前に基本の「せいろそばコース」に一品料理を幾つか追加するスタイルでお願いしてある。
まず飲み物を訊かれたのでビール(ヱビス大瓶)をもらい乾杯でスタート。
コースで最初に出されたのは「そば焼きみそ」で、当然ながら杓文字に塗り付けて焦げ目を付ける一茶庵スタイル。
基本通りの白味噌ベースで、たっぷりと入っている炒った蕎麦の実の歯触りが楽しい。
次いで「そばがき」が登場。
こちらならではの独特の行平鍋で、石臼で粗目に挽かれた蕎麦粉が丁寧に練り上げられている。
ナッツを思わせる芳香が鼻をくすぐり、モッちりとした食感も素晴らしい。
蕎麦本来の甘味が感じられ、醤油も添えられているが箸で千切りながらほとんどそのままで頂く。
この後にオプションで頼んでいた料理が3品。
「たたみいわし」は、焼き海苔と同じく炭火を忍ばせた小箱で登場。
パリッとした歯触りを保つための設えは、江戸前蕎麦屋ならではの粋な趣向。
素材の良さもあり、酒の肴には好適。
「玉子焼き」は、焼きたてが2皿に分けて出された。
焦げ目は付いていないが、そばつゆを混ぜて焼き上げる伝統の手法。
染めおろしを添えて熱々を頬張れば、口福の極みである。
「天ぷら盛り合わせ」はいつものスタイルでは無く、山菜主体の盛り合わせが大きな籠に盛られて登場。
内容は「ミズの葉と茎・宿根蕎麦の葉・春菊・しし唐・南瓜・茄子」。
ミズの葉は普段あまり使われることは無いが、柔らかい若葉を薄衣でサクッと揚げられている。
茎は5㎝ほどにカットして数本ずつ海苔で巻かれており、中々の歯応えながら風味が強い。
珍しい宿根蕎麦の葉は、歯触りが面白い。
他もそれぞれの持ち味が生かされており、塩と天つゆの双方で楽しむ。
酒は品書きに数多くの銘柄が記載されている。
注文はその道の達人である、マイフォロアーさんにお任せする。
洒落た蒔絵のような図柄がプリントされた水差し状の酒器で供され、猪口もその都度替えてくれる。
「山本」2種、「阿部勘」2種、さらに「乾坤一」(失念していた銘柄は同行のMFさんより教えて頂きました)を頼んだが、何れも料理の美味さと相俟って、スイスイと杯が空いて行った。
メインの蕎麦は「石臼挽きせいろ」で、星も見えるやや粗めの挽きが十割で打たれており、産地は各地のブレンドとのこと。
まず数本を手繰り鼻に近づけると香りが強く、啜ると旨味がしっかり感じられる。
粗目の粉と微粉を調合しているようで、硬質の歯触りだが表面は滑らかでのど越しも悪くない。
つゆは伝統に則った、返しの深みと出汁の旨味が融合した優れた仕事。
徳利で出されるが、蕎麦猪口が黒釉となっていたのは意外。
江戸前の流儀ではつゆの色を愛でる楽しみもあるため、やはり白磁かそれに近い色合いの器が有難い。
薬味は辛味大根のおろしと、白い部分だけをスライスした葱。
蕎麦湯は当然ながら釜湯のままの自然体で、さらりと伸びるためつゆの旨さを存分に楽しめる。
久々に訪れたが、相変わらずのハイレベルな仕事ぶりは健在。
蕎麦前もきちんとしているが、あくまでも蕎麦をメインに据えたスタンスが感じ取れる。
最近は日時を絞り予約客に限定することで、より精度は増しているように思う。
勘定は一人9千円ほどだが、満足度からすれば相当に思う。
手の空いたご主人とは色々とお話しできた。
まず女将さんの体調について伺ったが、現在施設の方に移られており中々復帰は難しいとのこと。
いつも笑顔を絶やさず、下町的なシャキシャキとした応対ぶりと歯切れの良い江戸言葉が懐かしく思い出される。
以前に比べ店内がやや雑然としており、心なしか華やいだ雰囲気も損なわれているように感じるのも女将さんの不在のせいかなと思う。
今回もお目に掛かれると思っていたのに、まことに残念である。
現在ご主人も80才とのことだが、ご存じのとおり蕎聖と称される一茶庵の祖である片倉康雄氏の直弟子の一人。
昭和50年頃に同じくらいの年代の弟子たちが相次いで都内や近郊に出店したが、こちらもその中の一軒。
筆頭は「翁」を立ち上げた高橋邦弘さんだが、現在は大分杵築の店も弟子に任せて隠居状態。
他にもここ数年で後継者がいなかった吉祥寺の「上杉」九品仏の「庵」秩父の「こいけ」などが店を閉じ、直系の「九段」や初期暖簾分けの「市川」「鎌倉」も廃業してしまった現在、残っていて思いつくのは池袋の「一栄」千歳船橋の「仙味洞」くらいである。
同門の店が次々と姿を消していくことを、ご主人も嘆いていらした。
ちなみにこちらの並びに'流離いの蕎麦職人'として知られる石井仁さんが、再び都内に舞い戻って設けた「仁行」が最近オープン。
ご主人に訊くと、近所に越してきたのにこちらには何の挨拶も無いとのこと。
私も石井さんには何度かお目に掛かっているが'追っかけ'と言う程では無く、誘われでもしなければ訪れる気持ちは起こらず、'またあそこも何時まで持つかな'くらいの気持ちで静観している。