春から夏へ。
冬には豪雪に蹂躙され、夏にはフェーン現象由来の湿潤かつ高温に曝され極地豪雨が頻発するという、かなりメリハリある、というより強弱のはっきりした気候の土地に住み暮らすためか、食べ物で季節を感じる事が少なくない。
言い換えればその季節にしか食べられないものばかりが周辺に転がっており、又、それを基にした割烹が成立する民俗圏に属する、ということになる。
従い、年がら年中採れ高を気にせず、思う様にご馳走を弄するとか、場違いなものを敢えて所望し数寄者を気取るといったカネで解決、都会人の豪奢を真似る、ということは甚だ困難。
そのようなオペラント条件づけを長年に渡り受けていると、まず季節感が食べものへの志向に優先するといった逆転現象が起き、この季節にこれを食わなきゃ、或いは/及び、この季節なのにこれを食うなんざ、モグリの最たるモンだぜ、などという鼻持ちならぬ独善性が形成されてしまうのは、道理であり、社会通念であり、ワールド・ヴァリュー(世界基準©️副島隆彦)であること、いうを待たぬ。
故あって週末大阪。
夜の部に会食の予定はなく、翌日の用事は急ぎではない、といったシチュエイションに置かれ、となれば、好きな店でのんびりいっぱいやりましょうか、という心持ちになる。
電話をかけ、席を確保し、往来がかなり戻った北新地を歩き、店に至る。
好きな店はかつを刺身に決めている。
決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。
もしあるとすれば、冒頭ご案内の季節感に侵された脳の持ち主にとり、桜前線が例年よりかなり早く通り過ぎた本年この時期なれば、気分はもう初夏であり、初夏とくれば初がつを、通人の好む晩秋の戻りがつをなど生活習慣病な肥り肉の脂肪過多みたいでゾッとしない*ぜ、やっぱり赤身は小股が切れ上がってシュッとしてないとね、とは、多様性に対する偏狭さがヒドいね、こいつアタマが前世紀で止まってるよとお叱りを頂戴するから黙っている。
そう思いながら、皮を厚めに引かれた透明感に優れた背側真紅の身肉をおろし生姜、おしたじチョイで頂くと、かつをらしい鉄っぽい風味、肌理の細かさ、軽く調子の高い旨みが味蕾を震わせ口腔粘膜をよろこばせ、ここに強めに点けた賀茂鶴超特撰特等酒をぐいとやれば、浮世の憂いは消え去り、世の中捨てたもんじゃないよねと、ノー天気な感想を持たない、事もない。
尚、具体的な御菜の詳細は、別掲の写真ないし写真のコメント欄に当たって頂きたい。
*Edo Dialect
をぢさんの歓び。
カウンタ席におさまり、職人さんと向かい合い、今日用意してある食材、推奨する調理法を聞き、相談し、気に入ったものを注文し、目の前で御菜が構築されていくのを眺めながら、そして出来上がったものを肴にいっぱいやる、いわゆる「食い切り料理」というのを好む。
好むのは「聞くこと」「選ぶこと」「見ること」「味わうこと」「いっぱいやること」そして「そこに座っていること」全て。
どんなに旨いものでもお仕着せの「お決まり」で、珍味佳肴が次から次へとズンドコ出てきたり、季節のものでもないご馳走がプレゼンテーション込みでこれみよがしに供されたりすると、それはそれでお大尽気分を満喫させ、かつ「選択しなくてもいい」からラクチンかもしれないが、なんだか自動あんま機にでも掛かっている「ような気が」して、落ち着かない。
ちょい意味合いが違うけれど強制飼養なんて単語がアタマに浮かんできたり
……ってバカだねどうも。
そんなわけで大阪に出向き、会食の予定はなく、ひとりで過ごすことの出来る「夜の部」には、こちらに足が向く事が多い。
「もどり」でありながら脂が過剰ではなく身の肌理が細かい鰹を、わざと薄めに切ってもらったのではじめ、燗酒のため「だけ」に存在してるんじゃないかしら? とケシカラヌ事を考えながらせこガニを摘み、身肉の冷たさ、ワタと卵の豊かさに舌が喜び、あゝそういえばもう、暦の上では冬なんだよなとかなんとか、口の中で呟きながら丸鍋を用意してもらい、身をさらったあとの汁で雑炊を所望、その芳醇さに身を委ねていると、歳をとるというのも、存外悪いこっちゃないネ、という気分になるのだから、酔漢というのは単純な人種である。
大阪は久しぶりですか
たまに来ていたんですけど何しろ食べ歩いてるわけにもいかないし、用があっても日帰りだったりでご無沙汰しました
昼に電話とったのが若いもので、でもお名前と控えてあった電話番号で、すぐ分かりました、嬉しかったです。
いや、こちらこそ
常連風を吹かせるわけではないが、こうした「馴染みの店」がいく先々にある、というのも悪いことじゃないよなと、単細胞な酔っ払いは、いい気にならない、事もない。
なお、具体的な御菜の詳細は、別掲のシャシンないし、シャシンのコメント欄に当たって頂きたい。
しかしオレ、過去レビュー振り返ると、何度も何度もおんなじような事しか書いてないね。よっぽど気に入ってるんだな、はは。
フグLOVE
急な大阪詣で。
1830時伊丹着の飛行機から地下鉄を乗り継ぎ、堂島の定宿に渋滞なく到着。1910時。
荷物をとき、新地本通に足を踏み入れると、うしじまいい肉さんみたいな*1 コスプレーヤーがワラワラと闊歩しており、やや、これは何事! とウロタえるが、この日が節分である事を思い出し、ははあ、これがウワサの堂島薬師堂節分お水汲み、オバケというヤツか、イヤハヤ眼福眼福…とはいえホントのオバ #よけいなことをかいてはいけません とヤクタクナイ事を呟いているうち、こちらの清潔な暖簾に行き当たり、こんぬつわ、と中に入る。
外套を脱ぎ、カウンタにひとつ残った席につく、と。料理長氏がいきなり
スミマセンMSSBさん、謝らなきゃいけない事が
ええ? いきなりなンすか?
いえ、お好きな鮒鮨、作ってるところが店を閉めてしまって、他で色々取ってみたんですが納得出来ず、メニューから落としてしまいまして…
年に一度、訪問するかしないかの「旅の客」の、顔はもとより「好物」まで覚えていてくれた事にココロを打たれ、又、納得しないモノは売れ筋でも仕入れないという姿勢に感服申し上げ
いえいえ。こちらには他に色々旨いものがあるから没問題です。じゃ、フグのから揚げ! あれ? オレここでフグ食べるの初めてかな? フグ屋さんなのに、はは。
ははは。
ごくたまの「旨いもの屋さん」だから、この時! と、ばかりに自分を甘やかす事にして、白身の刺身、盆栽みたいなミニ・サイズ一人用丸鍋、そして更に「ばちこ」なども、併せてとって、飲み物は「言うまでもなく」一本点けてもらう。
…しかし「好きなもの」を遠慮なく、とは言え、流石に調子に乗りすぎで、「味の強い」ヤツばっかり!
こういう「本能的に旨いと感じる」もの三昧してるところ、oさまやw氏のような「本質のわかった食通さん」にはチョイ見せられないネ、と、首をすくめつつ、「あたり」の強さにコーフンする味蕾を洗うべく、お銚子が繰り返しお代わりされない、事もない。
ちなみに表題は、我が尊敬する方のペットネームから盗用もとい「勝手にインスパイアド」
だって、から揚げが美味しかったんですもの、はは。
*1 無論、文章演出上の「誇張」である。
一人で飲み一人で愉しむ。
ひとり旅先での食事は、ひとりぼっち、と考えると味気ないものだが、周りを気にせず、諸々に邪魔される事なく、好きなものを食べて飲んで、じぶんじしんの時間を彩る、と、いう風に解釈すれば、一種、精神の解放、よろず雑事からのフリーダムといった趣があり、悪くない。
旅商いの途中、移動の予備日。
東京からの新幹線のなかでふと思いつき、電話を入れ、カウンタの一席を確保してもらい、土曜日夕方の北新地に立つ。
こんぬつわ、と暖簾をくぐると、石川店長のまな板の目の前、特等席に案内される、善き哉。
平日に比べると静かなものだが、一方、浮ついた感がなく、サンダウナーの晩酌を呑気に愉しむのになかなか結構な空間。
椅子に腰掛け、いつものクリーンで邪魔なもののない店内の様子に何故かホッとし、一本点けてもらう。
こちらは壁に貼り付けられた膨大な品書きの中から、好みのものを選び、或いは/及び、カウンタ越しに厨師と相談しながら注文を決めていく「食いきり」ないし「オコノミ」スタイル。
店に入る前から冬場はこれ、と、独り決めしていた鮒寿司をちょっとだけいいですか、と声を掛けると一切れを丁寧につけてくれる。
乳酸菌で練れた飯を少し、箸でつまみ、口に入れると爽やかな酸味、そしてその奥に浮かび上がる旨味。ここに温かい酒で追いかけてやると、もう、他になにか言うべき言葉はあろうか、いや、ない、と、古文の定法「二重否定は強い肯定」で調子が高い。
身の方も、腹にたっぷりと蓄えられた卵に圧迫され、薄くなりながらも発酵の力を借り、舌の上でギュッ、とくるコク、鼻に抜けるニオイと香りの臨界点、みたいなところの風味がたまらない。
この「たまらなさ」で徳利一本を空け、先程よりやや強めに点けてもらってもう一本。
熱々の酒で味蕾を洗い、これも冬のもの、と、河豚を薄造りを少々。
そして食事は当店自慢のうなぎを白焼きで、しかも小さなどんぶり仕立てにしてもらう。
うまいうまいと夢中で食いながら、しかしこんなに、思う様にゼータクしてると、そのうちバチが当たるんじゃないかしら、と、我がココロの奥に住み着くナチュラルボーン・ビンボーが一瞬、浮かび上がるが、同時にタマのことだから、ま、いっか、と、これも従前からの能天気が不安を打ち消し、さて、これからシンチをどうパトロール? しようかしら、と、アタマの中で「周遊マップ」を広げない、事もない。
モーハライフー。
愛読申しあげているレビュアーさまの口コミに、こちらが昼にやっている「鱧フライ定食」の端正かつハンサムなシャシンが掲載されており、見ているうちに
「ンま、季節の鱧を惜しげもなく、しかもフライで、ですって!!! 」
と、ニワカに逆上。
そんな折、有難くも大阪行きの仕事が入り、「とるものもとりあえず」とは言え実際には、スマートフォンを取り上げ、
「夜の部1900時より、ひとりカウンタ席リザヴェーション・プリーズ! 」
と叫んだワタクシを、誰が責められよう。
某日、エチゴから伊丹に飛び、夕方に堂島入り。宿に荷物を解くといつものお店でサンダウナーの一杯をひっかけ、時間通りに暖簾をくぐり、なかに入る。
潜った店ではヌル・カンに決めている。
決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。
もしあるとすれば、馬のようにビールをがぶ飲みすると、地の果てエチゴから来たイナカモンキー・キノボリさんだという #冷徹な事実 がいきなり露見し、白のチャードネーなど頼もうものなら、インバウンドなお大尽かと勘違いされて、イータカなご馳走ばかり勧められそうだと #ココロの弱さ からつい邪推してしまい、冷酒だと
「うーん、ひやでもいいからもう一杯」
と、ラクダのサゲを口走りそうだから、とは、お前さん、まったくもって #言いたいだけ だろ、だいたい若い良い子のお友だちには意味不明だゼ、このウスラばか! と、お叱りを頂戴しそうだから黙っている。
そう思いながら、お刺身と酢の物代わりが一挙にとれてお得だわあ、と、チラシ片手にスーパーに駆けつける奥さまのような事を呟いて、「白身魚のまぜまぜサラダ」をつまみ、口が程よく酸っぱくなったところで猪口を含むと、いやこりゃ夏の始まりでゲスな、と、調子が上がり、念願の「鱧フライ」は活きのよさと身の繊細さ具合が舌に程よく、バッター液で素早く纏わされた生パン粉の衣はパリパリと小気味よく、それだけでつまみになりそうに出来の良い、タルタルソースと合わせ、味わい、更に杯を重ねると、今生の珍味! というのは些か大袈裟だが、かなり優秀で、ここでトドメだ、これでも食らえ! とばかりにとった、大好物の「ひとりまえ丸鍋」の出汁の力強さ、生姜の効き具合と少しの甘味は、やはり大阪特有のまとまり加減である! と、勝手独断し、やぁ新地はいいネ、これでもしお隣にキレードコロがいたらオトウサンご満悦、スッポンの効き目もイッシッシ…と、 #politicallyincorrect な台詞が飛び出しそうになり、慌てて掌で口を押さえない、事もない。
食べたいものだけ食べる。
滅多にない豪雪の影響で、飛行機と、空港までの交通がまるで当てにならなかった某日、夕方からの伊丹便をキャンセル、昼過ぎ早々に事務所を出て、駅に向かい、東京経由で大阪まで、新幹線の「はしご」
1800時。列車が京都を越えるくらいのタイミングで、いきなり琵琶湖と鮒寿司の映像がアタマの中を占め、座席を立ち車室を抜け、通路に向かい、セル・フォンを取り出し、1930時ひとりなんスが、よござんす? と問う。
北新地の中心にある店のゆえ、いわゆるドーハンの最盛期であるが、たまたまカウンタにひと席余裕があるという、ありがたや。
新大阪からは環状線に乗り換え、大阪桜橋口から地下道を用い、堂島の定宿に荷物を解き、出かける直前までの雪かきで、輝きが鈍くなっていたチロリアンシューズを備え付けの紙でさっと拭い、本通りを縦断して店の前に。
1928時。これを旅商人のパンクチュアルという。
暖簾をくぐり、中へ。
大阪の「食い切り料理」の典型。壁に貼られた「美味そうなもの」ばかりが書きつけられた品書きの中から、お客は思い思いのものを選び、カウンタの中で花板氏が数名の若いひとを使い、この時間に集中するカウンタ、食卓からの注文をみるみるうちに仕上げ、お運びの姐さまが渋滞なくお客に届ける。
落ち着き、というものとは無縁だが、無駄がなく活気にあふれ、とはいえ粗雑ではなく、店内空気には程よい緊張と余裕が見え隠れして、気持ちがいい。
鮒寿司には純米熱燗に決めている。
決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。
もしあるとすれば、ここにもし、バガンティ・ルージュなど合わせてしまうと、ジョセフィーヌとかエポワスとか、早野凡平とかを思い出し、とは、#よけいなことをかいてはいけません とお叱りを受けるか、受けなくても良い子のお友だちには、#ぽかん とされるだけだから、黙っている。
そう思いながら、初手は尾に近い、弾力に勝った部分をつまみ、奥歯で噛むと、強めの酸味が補強する旨味がギュッと出てきて舌を喜ばせ、ここで燗酒の熱さで余韻を流し去り、鮒を漬けていた、よく練れた米の部分を舌に落とすと、嫌味のない乳酸菌の調子が爽やかと言っていいほどで心地よく、いよいよ卵を抱いた身の部分を口に入れ、ゆっくりと咀嚼すると、様々な味の要素と複雑な風味、香気が美蕾と上顎に媚び、鼻に抜け、一種、ポリティカル・インコレクトな発言かもしれないが、
年増をんなの深情け
という感じで、頭蓋骨内の粘膜全てを震えさせ、蹂躙し、ここで酒を多めにグッと放り込むと、妖刀村正もかくや、鋭い切れ味が全てを平定し、美味いものを食ったという記憶だけが蓄積、そこで更にふっくらと焼けた甘鯛の塩焼きで、徳利をもう一本消費し、量を少なくしてもらった米飯と雑魚、目の前でひとり分を作ってくれる、「え? そんなに! 」というほどの貝を用い、しかし味噌はほんのちょっと効かせるだけの、「ダシの旨味で食って頂戴よ」といった構築のシジミ汁で食事まで済ませると、丁度一時間が経過。それまで満席だった店内が文字通り「波が引いた」ように静まり返り、自分と、もうひと組の男だけで集まっているお客たちしか残っておらず、なぜか https://youtu.be/JnHcR9Bh0Kg,太平洋ひとりぼっち】という文句がアタマに浮かばない、事もない。
再訪】こういうのがいい
冬の入り口に再訪。
ふぐ料理の単品とか、丸鍋の一人分とか、普段コース料理で取らざるを得ないもののエッセンスだけ切り取るように頼め、それぞれの出来栄えがいいから、余り量の食べられない、おぢさんという年回りになるとこういう店はまこと使い勝手がよく、有難い。
カウンタのなかのひと、お運びの姐さまがたの過不足なくメリハリの効いた動きも流石。イヤになる事がまるでないのが、いかにも新地風。
そしてこちらで出てくる「ほしこ」 ばちことも言う海鼠腸の干したものだが、吟味が効いてい肉厚で実に美味い。
軽く炙ってもらい、ちびちび齧りながら熱燗を使っていると、こんな美味いものを独り占めしていたら、今にバチがあたるに違いない…と、怖れを覚えない、事もない。
酒三本、お通し、丸鍋、カキフライ、ほしこにきらずで12kほど。廉くはないが、得難い店だと思う。
登録時201606月】
いわゆる「美味しいもの屋」
清潔で気持ちのいいカウンタ越しに料理人諸君と向かい合い、壁に張り出されたときどきの品書きから好みのものをちょいちょいと取って、飲んで食べて小一時間、ご馳走で腹一杯というのではないが食べ終わってみると気持ちが充実していて、ああ良かったまた来よう、となる方向。
北新地の中にある事からも分かる通り、「そういう食事」のための店だが、押し出しのいい紳士と華やかな姐様の二人連れに囲まれながらひとり、徳利を傾け、猪口を弄んでいるのも、悪くない。
美味しいもの屋ではバチコに決めている。
決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。
もしあるとすれば、こういうところで胃袋を満タンにしてしまうのは如何にも間が抜けているし、そうかと言って他評にご案内の通り、こちらの勘定は多分、何を頼んでもある程度高止まりで一定だろうから、それなら酒に合う、好物だけれど普段は余り食わないものを取るのが方便だから、とは、合理の名を借りたみみっちさを感じさせるから黙っている。
そう思いながら熱の加え具合に舌をまく干しこのわたの炙りを口に含み、土佐鶴熱燗の剛直な味わいで追いかけてやると、旨味の広がりと奥行きに脳みそのネジが緩み、何も考えたくないくらいの愉悦を覚え、とはいえ乾物特有の抑制が後味の余韻を程よくまとめ、こちらの居場所と立ち位置を再認識させ、さてこれから次は何処に飲みに行こうかな、と、はしご酒への導入を果たさない、事もない。
店名 |
Fukuno ya
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类型 | 日本料理、鳗鱼、河豚 |
预约・查询 |
06-6341-2908 |
预约可/不可 |
可预订 |
地址 |
大阪府大阪市北区曽根崎新地1-1-11 北陽ビル 1F |
交通方式 |
JR北新地駅より徒歩5分 距離大江桥 261 米 |
营业时间 |
营业时间和节假日可能会发生变化,因此请在参观前与餐厅联系。 |
预算 |
¥10,000~¥14,999 ¥2,000~¥2,999 |
预算(评价总数) |
¥20,000~¥29,999¥2,000~¥2,999
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付款方式 |
可使用卡 (VISA、JCB、AMEX、Master、Diners) 无使用电子钱 可使用二維码支付 |
座位数 |
30 Seats |
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个人包厢 |
可能的 可容纳2人、可容纳4人 |
包场 |
可能的 |
禁烟・吸烟 |
抽烟与禁烟分区 喫煙されている方はいらっしゃいました。 自2020年4月1日起,有关被动吸烟对策的法律(修订后的《健康促进法》)已生效,因此请在访问前与餐厅联系,并且可能与最新信息有所不同 |
停车场 |
不可能 |
空间、设备 |
平静的空间,有吧台座位,有日式围炉座位 |
酒水 |
有日本清酒,有烧酒 |
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料理 |
对鱼类料理讲究 |
此时建议 |
许多人推荐的用途。 |
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カウンタ席に着いた途端、目に入った、親方(オーサカだからタイショーか? )のひいていた鰹が実に美味そうで
「あ、アタシもおさしみ、背側を薄く」
おから、ないし卯の花、又はきらずは、少々酸味が加わると格が上がるものだが、ここで紅生姜をちょん、というのが洒落ている。
おまけで出てきた、子持ちの稚鮎という、オマセさん(死語)な煮付けでいっぱい。
さらりとしていながらふくよかでもあり、この季節ならでは、なのであろう。
還暦間際でようやく酸味の宜しさに気がついた「ような気が」してうざく。
揚げ物は三田牛のヘレカツ。ウルトラ・シルキィと英語でいうのもなんだが、調子が高い。
お仕着せの一式、定食ではなく、目についたり、気が向いたり、季節の匂いを感じたりで好きなものをちょこちょこ頼んで、のんびりと酒食。
実に大阪的だなぁとかなんとか思いつつ、年末に向けての慌ただしさの手前で、心やすらかに過ごさない、事もない。
尚、具体的な御菜の詳細は、別掲の写真ないし、写真のコメント欄に当たって頂きたい。
......しかしオレ、こちらでは「鰹のおさしみ」ばっかりとってるね。ま、それだけここの鰹は吟味が効いてるってことで、はは。