『福元』の　小鰭（こはだ）を仕込む　夕暮（ゆふぐれ）に　振るや藻鹽（もしほ）の　醋（す）も用（つか）ひつゝ : Sushi Fukumoto

有一日（あるひ）、代澤（だいざは）『小笹壽し』に嚮（むか）ふも、臨時休業（やすみ）。
已（や）むことを得（え）ずして、近傍（ちかく）の『福元』に、、。
招牌（かんばん）、と云ふより表札（へうさつ）には、
尤（いと）拙（つなた）き字（じ）にて"鮨　福元"とある。

櫃臺（かうんた）は檜（ひのき）の一枚板（いちまいゝた）。
叮嚀（ねんごろ）に手入（てい）れが施（ほどこ）され、
その肌理（きめ）の纖細（こまか）く平滑（なめらか）なること、
最上質（いとよ）き絹織物（きぬ）・天鵞絨織（びろおど）を彷彿（おもはす）。

勿驚（おどろくなかれ）、
楊枝（やうじ）は木（き）、箸（はし）は竹（たけ）、
手拭（てふ）きは"リード・クッキングペーパー"と思（おぼ）しき貨物（しろもの）。
櫃臺（かうんた）の見事（みごと）さとは雲壤（うんじやう）の相違（たがひ）。

詳細（つぶさ）に東道（あるじ）が庖丁（かたな）を檢（あらた）むるに、
高價（ねのたか）き本燒（ほんやき）とは異（こと）なる陳腐（ありきたり）の品（しな）。
敢（あ）へて廉物（やすもの）を用（つか）ひこなす『初音鮨』、『すし通』竝（なみ）。
研（と）ぎと手入（てい）れの巧（たく）みさに限定（かぎ）るなら『壽々』が最善（よい）。

盆（ぼん）も塑性材料（ぷらすちく）。
その上（うへ）には、
件（くだん）の手拭（てふ）きと箸（はし）に加（くは）へ、藻鹽（もしほ）とぽん醋（す）。
薄切（うすぎ）りの生薑（はじかみ）が美（うつく）しく、希望（のぞみ）も膨脹（ふくらむ）。

徐（おもぶる）にこれを口（くち）に含（ふく）み、
舌先（したさき）に轉（ころ）がし、臼齒（おくば）以（も）て一噛（ひとかみ）。
高名（なのあ）る舖（みせ）とは異質（ことな）る甜（あま）み。
とは云へ、鮓（すし）の個性（もちあぢ）を減殺（ころ）すほどには非（あら）ず。

この日（ひ）の鮨種（すしだね）は十種（とくさ）。
築地市場（いちば）を經由（へ）て、
扶桑（わがくに）の彼此（をちこち）より集（あつ）めたる嚴選品（よきしな）。
蝦夷（えぞ）餘市（よいち）より、石州（いはみ）の濱田（はまだ）まで、、。

江戸灣（えどわん）、常磐物（じやうばんもの）ゝなき縁由（ことのよし）を訊（たづ）ぬるに、
東道（あるじ）應答（いらへ）て曰（いへら）く、
「およそ放射性物質（げにおそろしきもの）、
大人（おとな）には許容範圍内（まだし）も、兒童（わらんべ）には疑（うたが）はし。」

この日（ひ）は、種札（たねふだ）の端（はし）から端（はし）まで。
すなはち、白烏賊（しろいか）、眞子鰈（まこがれひ）、鮪（しび）二種（ふたくさ）、
小鰭（こはだ）の新子（しんこ）、水松食（みるくひ）、車蝦（くるまえび）、
章魚（たこ）、蝦夷馬糞海膽（えぞばふんうに）、鰹（かつを）。

これに、鶏卵燒（かひごやき）と淺蜊（あさり）の未醤椀（みそわん）。
鼓膜（みゝ）を劈（つんざ）く勢（いくほひ）こそあらねど、
親方（おやかた）、「ポン」と、輕（かろ）く掌（たなぞこ）を打鳴（うちな）らす。
名（な）にし負（お）ふ舖（みせ）に掌（てのひら）敲（なら）すは稀有（まれ）。

否（いな）、
獨（ひと）り、四谷（よつや）の『海葡萄（うみぶだう）』はその限（かぎ）りにあらず。
近會（ちかごろ）、東都（えど）の鮓店（すしや）に跳梁跋扈（はびこ）るは、
"海坊主（うみばうず）"の天窗（あたま）に"海葡萄（うみぶだう）一門（いちもん）"。

舎利（しやり）を千切（ちぎ）り捨（す）つることあらで、
鮫皮（さめがは）に卸（おろ）せし山葵（わさび）と鮓種（すしだね）を合一（あはす）。
手數（てかず）は僅少（わづか）。
倩（つらつら）その姿形（すがたかたち）を眺（なが）むるに、なかなかのもの。

纔（はつ）かながらも淡（あは）き紅色（くれなゐ）。
蓋（けだ）し、赤酢（あかず）の類（たぐひ）を用（つか）ひてかくのごとくなりつらん。
大（おほ）きからず、小（ちい）さきに過（す）ぎず、
鮨種（すしだね）と舎利（しやり）の釣合（つりあひ）もまた好印象（よし）。

心靜（こゝろしづ）かにこれを一口（ひとくち）。
不圖（はからずも）、感歎（ためいきいで）ゝ、
賞賛（たゝふ）る聲（こゑ）、止（とゞ）まることを不知（しらず）。
その所以（ゆゑん）、偏（ひとへ）に舎利（しやり）にあり。

口（くち）に抛（はう）り込（こ）むや、
忽地（たちまち）に解（ほど）けて、 口中（くちのなか）に亂舞（まひをど）ること、
宛然（あたかも）、
鳳仙花（ほうせんくわ）が種（たね）の爪先（つまさき）に彈（はぢ）くるがごとし。

殘存（のこ）れる米粒（こめつぶ）を吟味（あらた）むるに、
粒（つぶ）臼齒（おくば）に屹立（そびえた）ち、しかも舌（した）に滑（なめ）らか。
これを噛締（かみし）むるや、
須臾（たちまち）溶（と）けて、咽喉（のみど）を過ぎ、胃腑（いぶくろ）へと到達（いたる）。

これぞ、僕（やつかれ）長（なが）らく追究（おひもと）め、
なほ、なかなかに邂逅（めぐりあ）ふことのなき舎利（すめし）に異（こと）ならず。
かくなる上（うへ）は、
鮨種（すしだね）の良（よ）し惡（あ）しは、些末（とるにたら）ぬこと。

沙濱（すなはま）に埋（う）もるゝ芥子粒（けしつぶ）、
天空（おほぞら）の風（かぜ）に舞（ま）ふ塵芥（ちりあくた）。
大海原（おほうなばら）に浮（う）かむ木（こ）の葉（は）、
不二山（ふじやま）に蠢（うごめ）く蟻（あり）。

時季（じき）のものにして、そのものゝ固有性質（もちあぢ）とは云へ、
白烏賊（しろいか）は半點（いさゝか）臼齒（おくば）に抗（あらが）ふ。
鮪（しび）の味（あぢ）淡（うす）きは盛夏（なつ）ならでは。
聊（いさゝ）か火（ひ）が過（す）ぎ舌（した）に冷（つめ）たき車蝦（くるまえび）。　

旨味（うまみ）と芳香（よきかをり）を巧妙（たくみ）に殘（のこ）す章魚（たこ）、
適度（ほどよ）く成長（そだ）ちたる小鰭（こはだ）の新子（しんこ）、
淺（あさ）からず、深（ふか）きに過（す）ぎぬ〆工合（しめぐあひ）。
蝦夷馬糞海膽（えぞばふんうに）は俗（よ）に云ふ"鹽水海膽（えんすいうに）"。

惜（を）しむらくは鶏卵燒（かひごやき）の出汁卷（だしまき）なること。
佳舖（よきみせ）に出汁卷（だしまき）置（お）くは、
恰（あたか）も、鮮魚屋（うをや）が菜蔬（あをもの）を商賣（あきな）ひ、
傘店（かさや）が履物（はきもの）を扱（あつか）ふがごとし。

〆の未醤椀（みそわん）はあまりに鹹（しほから）く、
新子（しんこ）の鹽（しほ）も強（つよ）め。
およそ"椀（わん）"なるもの、
舖（みせ）の格（かく）、職人（いたまへ）の技倆（うで）を映（うつ）す鏡（かゞみ）。

嘗（かつ）て赤坂（あかさか）みすぢ通（どほ）りに在（あ）りし『喜久好』、
向島（むかふじま）近傍（ちかく）、寺島町（てらしまちやう）なる『うを徳』の、
"潮汁（うしほじる）"が理想（よい）。
★★★獲得（と）る舖（みせ）に未醤汁（みそしる）とは冷笑（ちやんちやら）をかし。

當家（こちら）、榮譽（は）えある"★（ひとつぼし）"。
生憎（あやにく）の"出汁卷（だしまき）"なれど、そこそこに美味（うま）き鮓（すし）。
さはあれ、その中（なか）にありて、
舎利（しやり）の完成度（あぢはひ）は拔群（とびぬけてひいづ）。

住宅地（ひとのすまふところ）に家（いへ）を構（かま）へ、
その地（ち）に根差（ねざ）し、そこそこに佳（よ）き鮓（すし）を漬（つ）け、
末永（すゑなが）く續（つゞ）く店（みせ）として、
高繩（たかなは）『たかはし』、根津（ねづ）『かじはら』に似（に）る。

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【照相機】：旭光學賓得士K-三數碼單鏡反光照相機
【鏡頭】　：smc 賓得（Pentax）A 2.0/35 @F2.4